その他

「鼎座放談(その二)―個性喪失について―」

能村 そういう点がありますね。結局、そうだから、まあ一種のフハッションですね。問屋が―問屋なり、デザイナーなんかが、その年の流行を決めるとすると、それに皆、それでなくちゃならないような、個性―、一つの個性きりなくなってくる。(中山氏 そうですね。)まぁ、その、世の中に汎濫しているのは、着物のことと同じなんでね。(中山氏 そう、そう。)
宮崎 やはり、あの、明治新体詩にしても大正時代の近代詩にしても今、仰しゃるように、一人一人の作品を見て、われわれ解りますわね。〈あ、これは高村光太郎だ〉とね。あるいは新体詩にしても藤村だ、晩翠…、はっきり解りますわね。(中山氏 わかる、わかる。)入学試験の問題に出せるんですからね。―作者をね。この作者を推定してみることを言えるんでしよう。ところが、今の詩は、多くはね、―できるものもありますがね、よく読んでみますとね。〈あ、これは女流の誰か、―あれだろう〉と。名まえ、言うて、…名まえ、見ながらですけどね。〈さすがにこの人らしいもの出ているわい〉と思うのが、ありますがね。か、と思うとそうでもないものがあるというのは、俳句とか短歌とか、現在、―今、仰しゃったように、作者は誰でもいいような現代詩もありますわね。(中山氏 そうそう。)そういう点、まあそれでも、その俳句の、―短歌の場合よりもまぁ、どうかな。(このとき、中山発言、録音、聴きわけがたし。)同じくらいなものかも知れませんね。(中山氏 そう思うんですね。あの、桑原武夫か誰か話したようにね。俳句の…。)ね、案外、同じことになるかも知れないが。
能村 あれは、まぁ、形式が、あーいう単純ですからね。短いから、どうしても、その特色というものは出しにくいですわね。(中山氏 出しにくい。)しかし、短歌の場合を第二芸術というのは、まぁ、当らんです。(中山氏 まぁ、そうです。)例えば、ね。茂吉と白秋、―あるいは釈迢空。全然、違いますよ。(中山氏 違う、違う。)
宮崎 やはり、一流の人は違うんですよ。(中山氏 違う、違う。それは…。)
能村 恐らくね、俳句だって、そうだろうと思うんですよ。一流の人のはね。
宮崎 これは虚子だね、秋桜子だね。これは水巴だ、ということは、わかりますよ。
中山 それは、わかる。大体、わかる気がする。
宮崎 それ以外の有象無象の分量が多いんでね。そういうことになるんで、これと思うものを選択しますとね、そういうことは言えませんわね。
能村 ただ、あの第二芸術っていうのは私は反対なんですがね。何故かというと、私も相当、俳句の経験は長いんです。(中山氏 あ々、そうですか。ほう。)角川源義なんか、(中山氏 あれゃ、あんたの教え子ちうもん……)あれが俳句を始めたころ、彼の「金尾梅の門論」を選してやったんですよ。(宮崎氏 うん。中山氏 おうつ。)昭和の初めごろですよ。しかし、句作は、やってませんがね。大体、まぁ、俳論指導の方だったんですね。句作をやれないってことが非常に難しかったということですよ。決して俳人たらざらんとしたわけじゃないんですよ。作れれば、(中山氏 やると。)やりたいと。けれども、作れないと(中山氏 変なものは作りたくないと。)まぁ、そういうことに、(笑)(中山氏 まぁ、そういうことになるわね。)
中山 けれども、あんたの短歌は、あんたの短歌らしい。この前、「富山と東京」にもらったものは、―正月号にもらったのでも―。
能村 あんなものは(笑)題詠ですからね。申訳ないんですがね。(宮崎氏 うちも、とっているんだけど、見なかった。)ね、とにかく難しいんですよ。ある意味では、まぁ、詩より難しい。(中山氏 難しい、むずかしい。)
宮崎 俳句に苦労するという点はね、あらゆる文学を作るときには、技法に役立ちます。詩人でも、俳句をやった人は、かなりいますね。吉岡実なんてのは、どうもおかしいと思って、あの凝縮したね、あの表現技術は、と思っていましてね、暫く前に会ったときに聞いてみたら、やっぱり、そうでしたね。(中山氏 ああ、そうですか。)俳歴は長いっていってました。(中山氏 ああ、そうですか。)やっぱり、そういうようなね、ことばの芸術の技法ってものはね、ああいう限られた中で苦労するというところに…(中山氏 まぁ、そうでしょう。て、に、を、は一つ違ってもね、がらっと違ってしまうからね。)それがね、現代詩の自由というところがね、―ほら、その自由というところがね、何も苦労せんでもいい自由ということになりますとね、野放図になってね、何ンにもなくなってしまってね、(中山氏 今の日本の自由みたいな―。)えゝそんなものでありませんからね。(中山氏 ちょっと穿き違えてるんじゃないかと、ぼくは思うんだがね。)そりゃ、誰でも作れますよ。ですけどもね、やっぱり、〈俳句の俳句〉というものを作るのはね、ちょっと出来ませんよ。
能村 前に、吉川則比古がね(中山氏 うん、うん、うん。)「鶴」って俳句難誌を(中山氏 出した。)あれは、詩人の連衆が全部関係して、ほんとうの俳人は関係しない。今の、なんて言うかな、まあ、老人組っていうのは、大方、関係しているわけで、岡崎清一郎、あるいは村野四郎、―大体、村野四郎なんか、井泉水のね、(中山氏 うん、なるほど。)「層雲」の重要なメンバーだったんです。(中山氏 ほう。)うん。(宮崎氏 それが、ありますよ。あの作品にはね。)(中山氏 なるほどね。)それを、ぼくが、―彼と一所に、層雲社へ、一、二度、行ったことがありますがね、―あぁ、詩を作れってことで、足を引っぱったわけです。(中山氏 あ、そうですか。)うん。(中山氏 ううん。)彼が、そう言ってるんですから、確かなものなんです。(中山氏 は、なるほど、そうですか。)ぼくに足をひっ張られ…(中山氏なるほど。それで、俳句から詩の方へ…)
宮崎 確かに、村野さんにはね、村野さんのことばのね、屈折ね、―それからことばのカチンとくるところ、ああいうところはね、ああいうものは自由の中で放任されたね、甘やかされものでないものは、ありますね。
―詠める・睨むについて―
宮崎 歌では、〈なが(詠)める〉と申しますね。歌は〈ながめる〉、俳諧は〈睨む〉と、こういう。大変にいいことばですがね。現代詩は、どれなのか分らないんですよ。今、言うようなね村野さんにしましても吉岡実さんにしましてもね、あれ、〈睨む〉をもっているんですよ。(中山氏 ああ、なるほど。)その〈にらむ〉というのが、文体に表われているんですよ。(中山氏 なるほど。)詩の場合には、文体にしなくってもいい、とも言えますわね。文体にしないで、ただ、発想だけで、にらむというね。それで、文体にないものに――結局、文体に関係してゆくんだ、と思うんだけれど、俳句のような、或いは歌のような文体では無しにね、その文体が出るとね、これが詩になるんではないかしら。現代詩になるんじやないかしら。〈にらむ〉ってことは、必要でしよう。現代詩は〈にらむ〉んですからね。知性と理性とでね。(中山氏 うん、そうでしょうね。〉ただ、あの、睨らまない白秋とか、露風とかっていう時代ですとね、にらまないで済んだでしよう。ひょっとすると、あれは、〈ながめる〉かも知れない。(中山氏 ながめる方でしよう。)或いは、〈見る〉かも知れない。そうですと、〈睨む〉の復活ということを言うとなると、俳句との関係なしには済ませないことでしょうね。
中山 そうね。そう言われれば、詩は一体、〈睨む〉のか、〈詠める〉のか、ね、一体、何をするのかと。どうですか、能村先生。
宮崎 ほんとうは、皆、あっていいわけですね。
能村 全部は、あの、一応……。
宮崎 門を開けているんだから、一応、全部あっていいわけなんだ。そのときに、何とはなしに――さっき仰しやった――流行が出てきましてね。〈の〉でいかなくちゃいかんと、こういうことになってきてね―なんか、制服を着るんですな。そういうもので、一つ、何か、まあ、見せどころがありますとね、看板を出してね、一行截って、そして〈の〉で始めるというような、こういう看板を上げると、新しいように見えるんで、世間でも、読みもしないでも、言ってくれるものだから―。
―癖について―
中山 私はね、(宮崎氏 ええ。)昔、満洲事変が始まった当時かな。試みとして、名詞ばっかり並べたね、名詞を羅列して、散文的にね、ずらっと、まあ、一字だけ明けてね、やったもんです。やったことがあるんです。で、やっぱり、じぶんの意図するものが、―まあ、一つの社会的なものちうものかね―じぶんの言わんとすることは、名詞だけ並べてね、所謂、名詞彙だけ並べて、やったことがあるんですよ。私思うのに、やっぱり、詩人っていうものは、文字とことばというものを、選択は勿論、必要ですが、文字とことばというものは、自由自在に駆使してですね、俗なことばで言えば〈天の声〉とか〈神の声〉とかね、そういうものだと。じぶんを通してのものだ、というかね。それと同時に、私は昔から、よく言っておったんですが、源氏君だとかね、川口、菊池君だとかの欠陥だけれども、まあ、胡座をかく場合もあるし、それから仰向けに裸になる場合もあるしね。ところが、皆、じぶんじぶんを律しておると、裃を着て、―形に捉われるって言うかね、そういうものじやなくって、いろいろの、じぶんの悲しい―悲しければ悲しいなり、嬉しければ嬉しいなり、ね。時代に対する憤りもあるでしよう。そういうものでやってゆくのは、ほんとうじやないか、と。だから、能村先生の場合の、まあ、エロチックかと言えば、エロチックでない、とね。(笑)さりとて、まあ、叙事的なね、ものである、―それだけのものではないんで、一切を綜合しておるというね。まあ、ああいうのは、ほんとうの姿ではないかと思うんですよ。ただ、これは、まあ―能村先生は能村先生だけのものであって、宮崎さんの場合は宮崎さんだけのものであって、余人の追随を許さないと。まあ、それはそれでいいんですね。
宮崎 やはり、癖があるのが、いいんじやありませんか。
中山 そうですよ。
宮崎 あれは中山さんのと、これは能村さんのと。それでなければ、いけないんですね。(未完)

掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第23巻 二・三月合併号 復刊52号 通巻152号 1965
北日本文苑詩と民謡社