★「生死一如」はいうまでもない。どうせ百歳まで生きられはしない(今生れた赤ん坊も百年後何人生きていようか)のだから、死ぬ時だけは価値のある死に方をしたいものだ。犬死や徒死はしたくないから常時「死」と対決して「死即生・生即死に則り、価値ある「死」のため価値ある「生」の在り方に努めて来た。
昨夜つひに死にしと思へば今朝の目覚め誰に向いて御礼を云はむ
は昔の拙詠の一首だが、こんな思いで四十余年消光して来た。夜眠りにつく時「我今日果すべき事を果せりや」と反省し80%以上果せたと自認できたら安心して眠りに入るが、不充分と思えたら徹夜してでも責務だけ果した。もし責務の途中で寝たまま「永眠」したらそれこそ「中山は無責任のまま死んでしもた」ことになり誰彼に申訳ない。このため現在の瞬間々々に最善を尽して来た積りだ。泣きたい時は誰憚からず誠心誠意、泣いたこのため「泣き虫・弱虫」といわれたし仕事をする時は誠心、誠意少くも二三人分よけいに働いてきた積りだし、遊ぶ時は一切を忘れて誠心誠意遊んだ。怒る時(私事では滅多に怒らない。多くは仕事の上や義憤の上で)心から怒ってきた。18歳から世評・毀誉褒貶を無視して生きることにし巳の良心に照らして疾しくない生き方をしたいと念じ何時死んでも悔いのないように努めて来た。人に騙されても人を騙さず、人に逆かれても人を裏切らず、人から信じ愛されなくとも人を信じ愛し迷惑をかけず、人の世話をしても人の世話になりたくないとしてきたが、数年来、人の世話になりがち、人に迷惑をかけがちとなり自己嫌悪に陥りつつある。
★泣いて暮らすも一生なら、笑うて暮らすも一生だ。同じ一生を送るなら笑って暮らす方が自分も楽しいし、人も楽しい上見りやきりがないし、下みりやきりがなしだ。人間は天国(神仏・真善美)と地獄(悪魔)との中間の地上(善悪・美醜・神と悪魔等々の混合、カオス)に生きる他ないのだから危い綱渡りだ。その「危い綱渡り人生」の一員として、人の善の面だけ(性善説信奉でなく、人は善悪半々が自然で、ただ私は幸運に善の面が51%、悪の面が49%の故に、どうにか人並に生きて来ることが出来た。もし私の内面に潜在している悪の面が2%顔を出したら、地獄へ真ッ逆様だ)をみることにして来た。同じ一生を送るなら、何も好んで、人様の汚醜を見て不快がる要もない。バラの花の裏には泥もついているだろうし、トゲもあろう。無理にバラの花を引っくり返して汚い泥や痛いトゲに触ることなく、美しいバラの花の表面をみていた方が、第一、自分が楽しい。そんな信念で、悪党でヤクザで女たらしで脅喝男、といわれた連中にも(どういうわけでか判らぬ)好かれて親しくしてきたが、世に知られていない(本人も気づいていない善の面を発見しようと努めて来た。すると、彼らの善の面が見えて来るヮ、見えて来るヮ、誰よりも私自身、嬉しくって有難くてたまらなくなって来た。ザラザラの醜い石が泥の上に見えているので、価値の少い存在だとして人々はタンツバを吐きかけて通りすぎて行く。ところが、泥を掻さのけてみたら泥にかくれていた石の半分は、大理石のように輝いている。この石の美しい面を発掘、発見した喜びは何にたとえたらいいか。石自身、泥に埋れていた真善美の面に気づかなかった。蹴られ踏まれ罵倒され通しだったから、石自身が泥の上に現われていた悪い面が、自分のすべてだと諦めていたにすぎない。これら多くの「悪党」呼ばわりされていた連中は、ついに「中山が生きている間はもう悪い事ができなくなってしもた」と嘆きながらも、世評を裏切って、徐々に輝く大理石の面を本人の自力で光の前に現わし、今では私の敬服する立派な、社会に欠かせない人材になっている。そういう人は二、三にとどまらない。本人もその家族も嬉しいだろうが、そういう人々よりも、私の方が嬉しくてならない。或る人が「孝子とか節婦とかほめられると、一生親不幸もできぬし、貞女でいなけりやならぬのと同じで、アンタは、世間が“悪党”のワクにはめこんでしもた連中に、逆に“善人”呼ばわりして“悪党”のワクをはめてしまい、一生“善人”で暮らさにやならぬように呪縛しなさった。ワシにそんな呪縛をかけなさんなよ。アンタに“善人”のワクをはめられると、気浮もできんし、息苦しくて叶わん”と笑いながらいわれた。反対に私自身は「世界一の悪人は中山輝だ誰彼に詫びようもない。何とかして善人に近づきたい”と毎夜、仏檀に手を合わせている。これは私の本当の心だ。絶えず懺悔し反省しながら一刻一瞬に最善を尽して死にたい。
(2・15釈尊の命日)
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第23巻 二・三月合併号 復刊52号 通巻152号 1965
北日本文苑詩と民謡社