宮崎 そういう人は、だんだん、少なくなるということじゃありませんか。(中山 そうですな。)みんな、サラリーマン化したりしましてね、(中山 そう、そう。)あるいは勤人が役人化したり、商人化したりして、――人間の、種類に、型ができてしまいましてね、〈ああ、これは商人の作品だ〉というところまではわかるかもしれないけれども、誰の―商人の中の誰だ、というところまで推してゆけないようなことになっているんじゃありませんか。そこで、やっぱり、現代詩が、その存在意義があるとすれば、その中にやはり、個人の癖のある奇人でも変人でも、ほんものの、ちゃんと、一つの体系をもつ奇人でなくてはいけません。(中山 ああ、そう、そう。)それで初めて、現代文学に寄与するんじゃないかしら。
中山 私はね、今、まぁ、大学を出立てとかね、所謂二十歳前後ですね、――そんな連中がやるんなら、まあ、勉強だから、これは、まあ、いいと。しかし、先程、名を申しあげたような、相当の古い経歴をもち、その間、空白があったかといえば、そうでもない人たちがですよ、〈それは、これ、大将の作品だ〉と肯けるものがあるか、と探したんだけど、あまり発見できなかったんだね。
宮崎 ところで、A氏の場合ですが、あの方には、確かに、今度の詩集のああいう行き方に結びつくものが、素質としてあったような気がするんです。
中山 ああ詩集を出しましたね。師匠の名前のようにね、暗示というものですかな。
宮崎 何か、新しいものでね。イメージをね、イメージ、イメージ、イメージで、どんどん、追っかけるという―、新しいものを追っかけるという、あの方の姿勢がありましたけどとね。今度のものを見ますも、ぼくは、―悪いけれども、―賛成できない。(中山 どこが、いけないと思いますか。)年輪を重ねてきたんですからね。年輪の無い若い人がやるならね。(中山やるなら、わかる。)つまりあそから出発するのなら、いいけれども、せっかく、年輪があるはずの人が、無関係な(中山そう。)ところへ行って、…。いわゆるあの鬼面、人を驚かす、で…。ところが、あれには、いくら読んでみても、(中山 鬼面が無いんですわ。)実体はない(中山 実体はない。)ようなんです。だから、あの方に合って講釈をしてもらえば、納得できれば、また別ですよ。こちらの気のつかないものがあるとすれば―恐れ入りますけども。しかし、われわれは、これ、常識人が読んでね。これ、デタラメだ、ということと仮定しますとね、やっぱり、いけないんじゃないかな。(中山 私は惜しいと思うんです。)
中山 で、まぁ、そういうのは、A君のためにも、マイナスだと思うんですがね。今の若い人はね、この、摸索をしている間はね、まァいい(宮崎ええ。)現代の、―まぁ、現代っ子ですから…。
宮崎 ぶっ壊してみて、〈そうかな。〉ということは、それはありますね。一度、火をつけて焼いてしまってね、更めて鉄筋を作るということはありますよ。
中山 そりゃ、あるけどね。つまり、それなら、それでね、所謂前衛派とか抽象派のね、―あれは、それなりで、新しいものを踏台にして、さらに新しい詩を創造するんだという方向を見つけてもらいたいと思うんだがそれがあるようにはサッパリ考えられないんだ。
宮崎 あれはね、レディー、メードの、一つのサンプルの中で泳いでいると思うんですよ。(中山 だからね…。)西脇さん作品は難解ですがね。あれはよくよく読みますとね、大抵のものは鍵が見つかりますね。(中山 なるほど。)西脇さんは、南欧の風土とか神話とか、ああいうものを、いつも背負ってる人ですから。神話のことばで出来たりしますしね。そういうものを見つけたりして、手繰っていきますと、一応、ほぐれていきましてね、「うん、うん」と解りましょう。
中山 詩は難解だといわれるのは、それはそれなりでいいんですよ。難解は難解なりで、(宮崎 絵だって、難解なものがあっていいわけですからね。)それは百年後になれば、解り易くなって、古典になってしまう場合もあるんですから。難解は難解なりでいいんですが、一番、最初に申し上げたように、その人でなければならん、というものがあればだ。これが、カチンとくるものでしような。そういうものが欲しいと、思うんです。まあ、この話は打切りにしまして、話題を変えて、もっと広い視野でゆきましよう。
宮崎 ただ、その、大事なことなんです。それはね。詩人は一つの、狭くても、グループのようなものの中にいるわけでしよう。(中山 そうです。)そのために一種の強迫観念をもつんだろうと思うんです。ええ、新体詩の次に、近代詩といわれるような時代がきますとね、今更、ああいう新体詩でもあるまいってんでね。(中山 なるほど。)もう、あれを誰も、―第一芸術で怯えたように、―作らなくなりますね。もちろん、歴史的な必然もありますけれども。序に発想なんかも全然、継承しないっていう断絶がくるわけなんですね。(中山 なるほどね。)後は近代から現代という風に、区切りをつけますとね、今更、光太郎でもあるまいとね、(中山なるほどね。)朔太郎でもあるまいっていうわけです。一切否定するってことでしよう。否定した人は、否定するだけのものをもってね、用意をもってね、そして、否定してゆくんならいいですけれどね、一応、破壊をし、断絶してね、そして、結局、行き着くところは、名詞だけでやるとか、あるいは、一行で、〈の〉から、〈に〉から、断絶してみたり、あるいは図形でやったりね。文字数で、ずうっと、グラフみたいなものに興味をもったりね、あるいは活字を左に右にデングリ返しをして興味をもったりね。――これは、第二義的なことです。(中山 二義的な。)発想であり、ことばの技術の、―やはり一般的なものがあるわけでしよう。発展すべきものは、やはり発展させないということは、拙い。光太郎のような行きかただって、あっていいような気がする。(中山 なるほど。)あれだって、あゝいう肌合をもった人があるわけですよ。あれで放っておいたら、あゝいう傾向へゆくべき人があってもやめてしまう。自分の肌合いから光太郎の行き方をとっても、あの当時の作品にはならないだろうと思いますよ。生活条件が変ってきていますからね。継承すべきものを止めた、というところに問題があるんで、―だから、強迫観念があって、戦前のものはダメなんだと、いう風にやってゆくところは、やはり、拙いんじゃないでしょうかね。
中山 私は、一つの劣等感があるんじゃないかと、本質的詩人じゃないんだと思うんです。だから、人に負けまいとする。所謂、虚勢を張る。自己自身を見喪ったんではないが、〈鹿を遂う者、山を見ず〉か、何かみたいなもんで、結局、やっぱり、詩に迷ってしまう形があるんじゃないかと、私は思うんです。
宮崎 それはね、やはり、北園さんが発明したというのは、一つの発明でしょう、先人の発明したレディー・メードのものを背負て、ささやかに旗を掲げてみたってね、それはやはり、亜流になるわけでしょう。(中山 そう、亜流は、どこまでも亜流ですね。)
能村 ただね、北園氏の、テニヲハで継ぐっていう行きかたは、必ずしも北園氏の発明じやないらしいんですよ。私はそれを確かめてみたわけじゃないんですけれど、アメリカにあるそうですよ。(宮崎・中山 あゝそうですか。)
宮崎 考えかたは同じでしょうね。
能村 同じらしいんですがね。
宮崎 ストップで、そこでイメージを確めて、そして、次に進んでゆくという発想でしょうけれどもね。
能村 なんんか、そんなこと、ちょっと聞きました。
中山 そりゃ、やっぱり、作りだしたのは、偉いんで、その後を追っかけてね、〈出藍の誉れ〉でね、それを土台にして、肥料にして、新しい時代にマッチするようなものを、また次の時代にひき継いでゆかれるようなものを生み出してもらえばね、その意欲があれば、私は結構だと思うんです。上手、下手、成功、失敗は別と謂ば、〈百花斉芳〉でね、いいと思うんですがね。そういう意味では、多少、失望してるんですがね。先生がたも、一つ、そういうので、試作をやってもらえませんか。
宮崎 しかし、その今、仰しゃった形のことだけれども、若い詩人たちが断絶をしないで、残った世界がありますんでね、それを、その勇み足をしないで、じぶんの資質をじぶんのほんとうに表現すべきものを、とらわれないで、文体だって、文語で書いたっていいと思う。(中山 あゝ、いいですよ。)新体詩だって、これは、時代が変っていきましたけれど、必然であれば、それでいいんで、そういう風に考えないとね、あっちこっち食いかけて、放ったらかした、勿体ないところがずいぶん残っていると思うんです。農地にとどまって耕さなくてはいけない人が耕さないで、皆、東京へ集ってしまっているようなものです。(中山 まあ、まあ、まあ。笑)
能村 ときにね、北園克衛氏のはね、さっきから問題になってましたがね。画家でしょう。形而下のことを書いてるんですよ。形而上のことには触れること、できないんです。あれは、あの形式では。(中山 そういわれゝば、そうですね。感覚を…)視覚に訴えるような面しか、(中山 視覚を通して内在へ入ってゆくような。それは解るんですが。)だから、あゝいう形式を心の深層に入ってゆく場合に使うということが、間違いだ。(中山 ちょっと、難しいね。)(未完)
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第23巻 四月号 復刊53号 通巻153号 1965
北日本文苑詩と民謡社