★「言語は手段であると同時に思考そのものであり、論理そのものであり、文化そのものだ」「なぜ青少年はものを考えなくなったかそれは、考えるということの媒休、いや考えるということそのものの言語が乱れているからである」「ある民族の文化を混乱させ、破壊する一番の近道は、その民族の言語を攪乱することである」とは高橋義孝九大教授の言(38・9・20読売夕刊)だ。一語一剣以上であるこというまでもない。日本語の混乱は大きな問題の一つだが「言葉は神なり」とする詩人は大いに発奮すべきだ。詩は「言・寺」だ。
★「こっちが、真ッ向から立ち向かってカラタケワリに、というだけの作詞家が今はいません」「ビルならビル街に詩があるはず」「今の流行歌は、いわゆるコマーシャルナイズされたというか、国籍不明になり、個性没却となり…」は古賀政男氏の言(38・9・21読売)だ。個性没却をマスプロ、マスコミの時代性の責にするのは卑怯。個性発揮こそ人類の理想・悲願だ。この悲願に逆行しているところに現代の悲劇がある。個性即造化、創造、神性だ。詩人よ、個性を生かし、個性に生きよ。特に若い人にそれを望む。
★黒部第四ダム建設事務所技師砂田二三雄氏(49)は「クロヨンの詩人」として八年間の詩百十篇の出版を東京の二三の出版社から求められている(38・9・20朝日夕刊)という。関電社内誌に安西冬衛氏の選で載った詩が今日ある所以の由。作品は初歩的で感心したものでなく、散文に近いが、魂の叫び(個性発揮)が身上だ。問題は上手下手でなくそれを超えるものにある。それにしても消費文化に属する詩よりも生産文化の詩よ大いに出よ。“万国の労働者よ”大いに“生む詩”を生め民謡など、本来は労働歌だったんだ。創造を羽ばたかせる詩は個性―創造から生れる。「詩は人也神也一切也」だ。(T・N)
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第21巻 十一月号 復刊39号 通巻139号 1963 北日本文苑詩と民謡社