谷は溜息を喪う すべてを変幻の天に占められて
谷は耳る噴きあげる 唯一を跳ね返して
竜・そして滝の肉を逆さにつるせ!川の背骨の裏を貼りつけろ!鮎の尾を吐き下せ!病葉の網を虚空へ返せ!
断崖は身悶えする
川は身をくねらせる
鮎は身をよぢらせる
病葉は身をひるがえす
谷の情念が顕われたのだ
谷は時空の切線を炎にして
谷は光がくると眠り 光が去ると目をさます
谷は光の芽だからだ
時間が垂らした眠りが谷となった
谷は もう どこにもない
谷は 五十億光年の向うで待っている
その限界の谷へおちていく
下らない谷
でも 昇りつづける谷
内包を外延に
秘奧を玄門に
臨界にして
内燃しつづけている谷
谷よ 谷
―三八・八・二五即興―
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第21巻 十月号 復刊38号 通巻138号 1963 北日本文苑詩と民謡社