★最近、時を同じくして感動した二つの美挙がある。一は前にも本欄で書いたが、多年独力で自らガリ版を切り、編集・執筆・印刷・製本・発送を続け「雨情民謡」を一筋に貫いて八月で85輯の個人誌「時雨」を出している羽田松雄氏が、「雨情民謡」に終始した親友故宮村逸男氏の遺稿集を自らガリ版印刷の、しかも豪華本にして友情出版し、8月25日池袋三越で遺族を招いて追悼の会を開いたことである。二は羽田氏とは逆だが、これまた独力で豪華な個人詩誌「螻蟻」を出している前田鉄之助氏門下の森山隆平氏が同日頃「藤森秀夫追悼号」を螻蟻第5集として出したことである。森山氏と藤森秀夫氏とは直接的には無縁だが、ただ恩師前田氏に次いで敬愛しているための任??の挙だろう。二人とも某々詩人のような大金持ではない。中産階級にすぎない。つまり、金が溜まると心の垢が溜まる―人々の逆だ。真の詩人は孤独・孤高に徹して羽ばたく。それを身を以て示した羽田、森山両氏に“詩道”を歩む一人として厚く礼をいいたい。
★同じ頃、筆者の茅屋をも煙が掠めた池袋・西武百貨店の大火?は7人を殺したが、先年本欄で書いた堤清二青年社長は詩人らしからぬ“商魂”をみせて世の悪評を浴び、真の詩人でない本体を曝露した。堤清二詩人(ペンネームは忘れた)は堤康次郎氏の御曹司で大金持。詩作は麻雀かゴルフ程度なんだろう。黄金に埋れると詩神は見えなくなる。どうだ世に「黄金プラス詩作」で虚名を博し「オレこそ詩人でござい」と筆者らを眼下に見おろしているニセ詩人(名は一々あげない)がウヨウヨしている。そういう徒輩はせめて詩神(と書くと昔、宮崎孝政氏編集の詩誌「詩神」を思い出す。あの田中清一詩人社長健全なりや否や)の尻から出る“黄金”でもなめて死ぬがよい。世の詩徒たるもの、宣しく羽田森山両氏に続け!筆者も続くつもりである。
(63・8・28・軽井沢―上田間車中―T・N)
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第21巻 十月号 復刊38号 通巻138号 1963 北日本文苑詩と民謡社