随筆

「巻頭寸言 詩における世界平和と孤高の人々」

★昨夏以来西ベルリンの学生ホームで東西ドイツ詩人十数人がドイツ統一の悲願をこめた自作詩を朗読しそれについて討論し合う会が開かれ涙を催させる画期的な光景を描いている―と福田宏年氏は読売4・27夕刊で報じている。一方オリンピック記念日本ペンクラブ文学賞は日本をテーマにした40カ国、488篇の応募作品から最優秀作に英人ジェームズ・カーカップス氏の連続詩「海の日本」をきめ、他の詩一篇、短篇小説三篇と共に入選作品集を出し、川端康成会長は「国際間の相互理解と交流による世界平和のため小さいにしろ一つのともしびを点じ得た」と序文で述べている。世界平和は万人の悲願で困難だが、真の詩は人間愛を軸に新しい価値を創造し国境・人種を超えて心と心を結ぶ大きな力を持つ。世界一自由に恵まれている日本の詩人は、島国根性から脱皮し世界平和へのアッピールの大きな役割を詩によって展開すべき時へ来ていると思うが、如何。また、スイスで在米の中国系詩人・画家ワラス・テインの詩61篇と欧米画家28人の石版画を収めた一冊54万円の詩画集百冊が出たそうだが、詩が貴族・富豪のものだった大昔のシッポが残っていることを示す。詩は太初から庶民の祈りなのだ。もう一度「芸術の起源」以前へ戻っていい。
★今日は5月9日「母の日」だが、カーネーションよりも大根一本プレゼントした方が母なる者喜ぶだろう。それよりも黄金週間に関西のBG四人が剣岳で凍死したのをはじめ50数人が春山で死んだ。悲惨だがハタ迷惑なことだし、親不孝な話だ。金と暇のある若者は好きな山で死んで本望だろうが、金も暇もなく死ぬに死ねない貧しい多数の若者のため「若者よよく聞けよ」金と暇を捧げたら如何。この「母の日」に童謡ママ中野栄子さん(創刊10周年になる坂口淳氏主宰童謡誌熊ん蜂同人)の童謡集出版会が池袋三越で開かれ、教育ママや童謡の在り方などの話が出たが、昔澄宮(三笠宮)が「童謡の宮さん」として評判だったのも貞明皇后の御影響によるものとの話も出た。幼児が「お座敷小唄」など歌ってもいい童謡を知らぬのはマスコミのセイにばかりもしておられない。世のママは詩のない生活から詩のある生活にすることが次代をよくする根本だということを知るべきだ。
★歩く運動が全国的に展開され出したが、日本紀行文学会(本社社友徳永隆平会長、同人志村士郎副会長)が文学散歩百数十回、史蹟遺蹟から考古学、民俗学へと幅広い探勝の先鞭をつけている。単に健康のために「歩く」のでなく、徳永氏らのように文化への寄与の歩き方を真似るべきだ。
★本欄で名を挙げた詩人が相次いで他界するので一寸変な気持。2・3月合併号で触れた蔵原伸二郎氏は2月6日の読売文学賞の直後遂に他界。所が漱石門下の三羽ガラスの一人といわれた中勘助氏も正月朝日賞を貰い5月3日79才で他界した。河井酔茗、三木露風両氏ら同様表彰されると間もなく永眠するのは偶然にしろ気の毒。中氏も「詩心を年と共に深め生涯純粋さを失わなかった稀有の詩人」(毎日5・7夕刊「寒流」)の一人だが、読者が多くなかった。詩人は多く孤高のものだ。(5・9夜中山輝)

掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第23巻 六月号 復刊55号 通巻155号 1965
北日本文苑詩と民謡社