本誌同人鈴木勝氏の詩集「平らな頂上」の出版祝賀会は千葉県下で友納県知事や千葉日報、千葉県詩人連盟等により各界名士多数出席して二回も開かれたが、東京では二月十一日午後一時半から銀座のサッポロビール本社二階で(順不同)
部服嘉香、白鳥省吾、前田鐵之助、浅野晃、井上康文、中西悟堂、藤田健次、田中冬二、南江治郎、広瀬充、喜志邦三、土橋治重等々の諸氏、本誌の能村潔、岩間純、沢ゆき、藤森ゆき、小田天界、三井良尚、宮崎健三、中山平治、朝森弓子、くらたゆかり、沢田静子、小西紫水、徳永隆平、萩野卓司、高橋真吉、早川嘉一、松沢徹等の諸氏。
七十余人発起の下に開催。青空に国旗飜る中、信州の細川基、愛知県の杉浦盛雄等遠来者も陸続。綱島嘉之助日本歌謡芸術協会常任理事が司会する筈だったが、急用で大阪へ飛んだので、私と宮崎健三君が進行係になった。
先ず発起人を代表して能村潔氏は『今日は形の上では建国記念日、日曜、この祝賀会と三重の喜びで鈴木さんの県議三期当選と同じく御人徳で…』と冒頭し、紀元節が天地改まる旧歴の元旦に相当している事等を語り、著者を政界での泥中の白蓮と讃え『これは文学の眼で万物を、その差を見ている立派さから来る』とし『反省の上に立っているからこそ“昭和奇人伝”という痛烈な諷刺詩も生れた。自分が澄んでいるから立派にでき、価値づけられる(中略)詩と共に60年も生き、詩によって育まれたというが、詩論というまやかしものに惑わされず、自分の方向を鮮明に示しており、借り物でない論理を持っている。借り物の論理での詩はデパートの売り物を身につけるものだ』と詳述、一転して芥川賞作家五味康祐氏等々流行作家が盗作、借用で文壇の問題になっている事例を衝き『こんな自分を形成していない、借り物で間に合わせている行き方をして恥じないのは由々しい問題だ。しかもジャーナリズムは触れようともしない。朝日新聞が奈良県民歌問題をデカデ書き五味に一言も触れない。著者は盗作、借用なく誰の影響も受けず立派に自己を表現している。ジャーナリズムに乗って華やかに踊っている裏の下を感ずると共に、こういう本物がまだ表面に現われていないのを感ずる。これをマスコミはとりあげるべきだ。今日の会はそういう意味の会だろう。万歳を叫びたい』と大きな感動を与えた。
次いで日本詩人クラブ常任理事・事務局長安部宙之介氏は『多年詩作の人こそ真の詩人だ。著者の詩は庶民、大衆の美しい愛情を素朴な言葉で歌い、最後の一行などでの結びに多年鍛練の技巧を感ずる』と、同クラブ常任理事で日本詩人連盟副会長の門田ゆたか氏は『昭和32年小さい詩謡集(と示して)を貰った時民謡調の農民代表者としての詩に感激した。本集は農民の生活、感情を底流にし愛情を基調に20年前より幅広く歌っている(と愛誦の詩を示し)今日の基底が大切』と、またかけつけたばかりの藤森ゆきさんは閨秀詩人を代表し『日本詩で拝見していたが、詩集で詩歴の古さ等を知り喜びも新た。今後の日本の文化も大変ゆえ御精進を…』と祝福。白鳥省吾氏代理の広瀬充日本歌謡芸術協会理事長の音頭で乾盃。自己紹介にかね適宜大略次のように祝辞を述べた。(敬称省略)
(中略)
その他次の人々が祝辞を述べていたようだが、雑音が多く混入し、中には誰かの祝辞の中へ誰かの大声の「鉾をおさめて」と藤原義江ばりの独唱が入っていたりしていて内容が聞きとれぬのが残念。
海上晴安、天彦五男、恩田幸夫、尾沢徳太郎、金子秀夫、佐々木龍之、杉谷徳蔵、杉浦盛雄、関沢潤一朗、関四郎、武藤美津子、五十風昭。
中には島田信義君の次の人(自己紹介が抜けていて名が判らぬ)が『私は政治家は好きではないが、この詩集を毎日枕元に置いて何度も読み返していると生活力がわいて来、七彩の虹のようだ。政治活動と文学活動を!』という声もあるが…また秋山清氏や田村昌由君は次の会へ急ぐため早退し、祝辞も聞けず、記念撮影にも入ってもらえなかったのは残念であった。頃合よしと宮崎健三君は
①綱島嘉之助②早川嘉一③大村正次(一寸詩歴を紹介して置いた)④市原三郎⑤荒川法勝⑥池永治雄⑦河西新太郎⑧土橋治重⑨谷村博武⑩泉浩郎その他の祝電(電文省略)を披露、主賓は
『遠路、また御忙しいのに多数おいでになり祝辞を戴き深謝、詩集は後日の記念に出したが、全国の古い同志が沢山心にこもる激励をしてくれ感激している。小学生時代から詩を書き続けているが、私の人生で誇るべきものがあるとすれば詩を書いていることで、死ぬまで詩を友とし愛人としたい。血に人間的な闘いが流れているのを詩に!』
と謝辞を述べた。これと前後して私は①故伊福部隆彦氏が出席して何か言うのを楽しみにしていたのに正月十日朝急逝し古谷玲児、藤田日出雄両君も生きていて健在だったら出席して喜んでくれたのに②白鳥氏は寒中用心のため出られない由③内助の功多い主賓の夫人は病身のため欠席④出席する筈の京都の長田久男、東京の市村鐘一、森山隆平等の人々は急用で不参―の旨を述べ、記念撮影。元の席へ戻って第二部の余興に入り、皮切りに私が越中五箇山の貧農民謡コキリコ節を歌い、広瀬充氏は庄内おばこ、月原橙一郎君は故野村俊夫君作詩の「ああ堂々の輸送船」を、小川武介君は故伊福部隆彦氏の詩歌を吟詠、さらに月原君は島田磬也詩にまけてなるかと、著者への献歌を吟ずるなど大賑わい。やがて四時すぎ宮崎健三君の挨拶で一応閉会、そこへ島田ばく君がかけつけて来たので別に主賓を中に記念撮影などをした。なお、準備から受付、後始末まで万端行き届いた高配をいただいた出版元のプロダクト埴輪顧問松永伍一兄弟、名カメラマン関氏を紹介しくれた綱島嘉之助君、祝儀の金一封を送ってくれた市村鐘一、本多方子の人々に謝意を表し、朝来の酔いに酔いを重ねていたため失言多々あったことをテープを聴きながら恐縮、非礼の点を各位に詫びておく。著者特命のこの駄文、やっぱりいいゴ機嫌で書き終えてやれやれ。
(43・3・17 夕)
写真 ①最前列=左から=天彦五男(斜め後は関四郎)金子秀夫(後は八雲栄一)霧林道義、中山輝、中山平治、佐々木龍之、宮崎健三 ②前からの第二列、左から小田天界、三井良尚、武藤美津子、藤森ゆき、能村潔、鈴木勝、安部宙之介、月原橙一郎、門田ゆたか、関沢潤一郎 ③第三列、左から松永伍一弟、五十風昭、高安義郎、風間光作、 秋葉啓、 杉谷徳蔵、(その後は小川武介)島田磬也、細川基、 仲村八鬼、 松永伍一、恩田幸夫(その後頭に繃帯しているのが尾沢徳太郎)海上晴安、杉浦盛雄、林光則、広瀬充、島田信義、羽田松雄、福田君夫(敬称省略)
【註】秋山清、田村昌由両氏は早退のため、島田ばく君は遅参のため撮影洩れ。
掲載誌:『日本詩』 第26巻・復刊84号 通巻184号 1968 5月号 鈴木勝詩集「平らな頂上」特集