★祖国敗亡20回忌の8月15日白鳥省吾氏の豪華詩集“北斗の花環”祝賀会の席で正富汪洋(84)服部嘉香(80)諸氏も嘆いておられたが、世界で詩人を虐待しているのは似而非日本人氾濫の小島国だけだ。売れる詩集は屑で売れぬ詩集は砂塵に埋れた一粒の麦だ。詩人を優遇しているソ連で先にマルコーバ女史の古典を主とした「日本詩集」が好評を博したが、今度レニングラード大学で日本語を教えている岸田泰政氏のポケット判「日本詩選」が渡辺順三・近藤芳美氏らの短歌、草田男・三鬼氏らの俳句、安東次男・鮎川信夫氏らの詩を盛って出版され即日13万部売れたげな。(40・7・30付朝日夕刊)詩は古来天の声だ。神仏の声を軽視する国は哀れなるかな。
★伊福部隆彦教祖が毒舌で自論を展開しているが、年輪と共に詩魂が光輝を放つのは亡国日本以外にあったこと御存じの通りミイハア族に迎合の舶来主義詩人共は一世紀遅れてやっと目がさめたようだ。“老境に至っていよいよ光を増した詩人は、古今東西を問わず、その数は多く、いちいち名前をあげきれないほどだ。(中略)透明清澄な詩境は晩年において完成する(中略)小説家も詩人の一種だ。若い日に詩集を持ちえなかった作家が晩年に詩に志しても、おかしくも遅くもない。―晩年の詩魂は讃うべきかな!”―は詩をよく知る林房雄氏が伊東静夫の三好達治・大木惇夫氏らの例をあげて書いた「晩年の詩魂」(40・7・30読売夕刊)である。詩徒たるもの年令が時代が人類が国境を起え宇宙的巨視で死後も詩を書き続けることを志せ!
★たったの一度の敗戦で腑抜けみたいになってしまってはだめではないか。日本人よ。(中略)今の日本を船に例えると、ヨット遊びのようなもので、この日本丸がどういう速度でどこへ進むか、誰も知らない、その日暮らし”と中国人盛(毎+流の三水無しの字)度氏が「漢民族から見た日本民族」という冊誌を出し、また文芸春秋10月号に「忘れられた大和魂」の文で嘆いている。この至言を言論暴力の専横族共、何と聞く。祖国を滅亡させつつあるもの邪道へ一目散のマスコミでなくて何であろう。マスコミ王よ、真志を述べる詩を志せ!
★国語・国字の乱れは国の乱れと度々書いたが国語審議会の有象無象のため、現代子は記紀万葉以下の古典も読めなくなり、正字も書けず、片言しか喋れなくなった。“中国と日本とは同文同種といいながら、日本では漢文教育を疎かにし(中略)勝手な新字体を発明して、意思の疎通を妨げるようなことをしている(中略)詩の巧拙は別として、毛主席は古典主義者であることだけは確かだ(中略)ある人から中国大陸ではことしの四月に入学した小学校一年生からは新字体を教えずすべて旧字体で行くと決まったという話を聞かされた。理由は古典との断絶と新旧両方を覚える二重手間を避けるためだという(中略)新聞は前例を倣いそれを大々的に報道する義務がありはしないか”と福田恆存氏は40・9・15付読売夕刊で書いている。値上げ反対を大きく論じながら、10月1日からの自紙の紙代値上げを勝手にきめて貧乏人を盲目にしている独裁者がマスプロ紙(精神をすてた物量の乞食族)を詩神に仕える者決起して征伐しようではないか。(40・9・26正午 中山 輝)
掲載誌:『日本詩』朝森弓子詩集「山襞」出版特集 第23巻・復刊59号 通巻159号 1965 11月号