随筆

「巻頭寸言 原水禁反対と文化革新と死刑囚と郵便料値上げと」

★昨日何党員か知らんが若い男女(よくもまァ金と暇があるもんだ、失礼だが……)数十人が池袋駅入口で炎熱に喘いで先を急ぐ乗降客の通行を阻むように通路を挟み原水爆反対の署名と資金カンパを求めガナリ立てていた。あの署名と募金はどこへどう使うのか(被爆者に贈るのなら別だ)不明なので筆者は敬遠した。それにしても昨年も本欄で書いたが毎年8月になると6日広島、9日長崎で各党派ヒモつきの原水爆反対大会が二つも別々に開かれる。原水爆反対に反対する者はいないだろうが、祖国とする米中ソの原水爆に賛成し仮想敵国のそれに反対するような党派争いの大会競演をしなければならぬところに日本の悲劇があり、渦中にまきこまれたくない大多数は敬遠する。殊に今の政治への不信感から政治に無関心、というよりも政治に超然とするを以てよしとする観のある文化人ら(これが問題)はヒモつき原水爆反対にソッポを向いている。そこで提言するが『日本を祖国とする真の日本人らしい文化人』が厳正中立の、全国民一本の原水爆反対運動を展開し、各党派個別の大会を吸収するようにしたら如何。今のような被爆者無視のお祭騒ぎの競演をいくら続けていても効果があがらぬ。世界戦争は眼前に迫っているのだ。世界平和招来のための“文化革命”は日本の文化人自身から始めよ。別の意味の日本の“郭抹若”よ出でよ!
★前号で一寸触れたが郭抹若氏の自己批判によって世界の耳目を集め出した中共の文化整風は党・政府・軍・文化等各界各層へ広がり毛主席はスターリン・ヒットラーどころか、それ以上に「真理」と同格にあがめ奉られ神様となった。西瓜販売も毛哲学の矛盾論学習で解決した(5月14日付解放軍報)とし、北京での科学シンポジウムで素粒子グループが“物質の基本でこれ以上分けられないという素粒子も二つに分けることができる。これは毛主席のすべてのものはみな分裂して二つになるという「一分為二」の教えに基づき毛思想哲学を武器とし集団の力でかちとった成果だ”という北京理論(素粒子は層子と反層子の二つに分かれる)を発表したが、名古屋大学の坂田昌一博士が“坂田モデル”としてずっと前に云っている講造論で別に目新しいものでないそうだ。筆者も一つ「素粒子は輝子?アンチ輝子に二分する」とでもブツか。アホらしい。冗談は別として、毛哲学の「一分為二」は下手すると分裂奨励になるからむしろ逆に「以二為一」とし万教帰一の東洋精神を発揮し“一つなる世界平和”への理論と実践を展開するように詩人毛主席に願いたい。
★モンテンルバの父アルフレッド・M・ブニエ博士が日本戦犯多数を救い“モンテンルバの会”に招かれ7月22日~26日来日し23年ぶりで助けられた元死刑囚多数と感激の対面をしたが、ブニエ博士は“法律は人間のためにあるのだ”といっていた。(政府は勲一等ぐらい贈るべきであったのに知らん顔をしていた。米国に遠慮したのかネ)ブニエ博士のこの言は“法律は権力のためにある”としているような日本の厄人への頂門の一針だ。本誌の熱血愛国詩人小田天界氏が取締役会長の全東京新聞は6月1日号で、15年間無実を叫び続けている歌人佐藤誠死刑囚(58歳)の牟礼事件を大きくとりあげて詳報(一般紙は知らぬ顔)して筆者を痛憤させた。「法の番人」共は「死刑確定者に対する再審は前例がないから」と再審の願いを拒否しているが、ブニエ博士の爪の垢でも煎じてのんだらどうだ。筆者は帝銀事件の真犯人は平沢死刑囚でなく他にいると思っている一人だが“あすなろの木のかなしみやわがこころ無実の晴るる明日を待ちつつ”“誰がためにある人権か独房に哭きつつ無辜のいのち横たふ”と悲憤の歌(6月18日付全東京新聞)を詠んで佐藤死刑囚の無実を信じ“前例がなければ前例を作れ”と叫びたい。ブニエ博士はあの反日・憎日激烈な混乱時に単身生命を賭して死刑確定の日本戦犯数十人を救ったではないか。前例を作るのに臆病であるのが日本の厄人共の通弊だから、主権者(有名無実だが)の庶民は、オカミをオオカミと心得て真の主権者らしくなり、今のような“法の番人”を“人間の番人”にさせ、人間無視・人間抹殺・官憲守護の観のある法律を“人間のための法律”にするように決起して然るべきでないか。法律は時と所によって変わるし“勝てば官軍”(占領当時のGHQを見よ、現在の沖縄を見よ)が支配するために作るもので泣くのはいつも庶民だ。無辜の民を救う「新しい東海の君子国」を亡国21回忌の8月15日を基点に出現させよう。
★日本音楽著作権協会のゴタゴタはついにウミを出し、宮城道雄氏の養子・作曲家宮城衛らの一千万円脅喝事件が表面化し、協会刷新の火蓋を切り先頭に立っていた詩人宮本旅人氏が一七〇万円脅喝云々の疑いとかで警察から調べられたりしたようだ。会員とは名だけでツンボ棧敷にいる筆者には何が何やら訳が判らぬが、詩人・作曲家は算盤が下手で金に縁遠いのに、その団体の著作権協会の使用料徴収が年間十数億円(手数料等の収入三億三千余万円)になるので経理がズサンになるのも自然だし“砂糖にタカるアリ”で役員争いから派閥争い、果てはアラやボロ探し、中傷や告訴ごっこになるのも不思議でない。だがこのへんで雨ふって地固まるようにし仲よくしていって貰いたい。幸い春日由三理事長(NHK元富山放送局長)や高木常七顧問弁護士(富山出身・前最高裁判事)等の人々が再建に努めているからスッキリした協会になろうと期待している。
★今月からの郵便料値上げは貧乏人泣かせだ。貧苦に喘ぐ多数文化人は益々貧乏になるばかりだ。これでは日本文化圧殺の値上げだ。その上郵便の誤記・遅配・紛失が続き窓口サービスも悪いから踏んだり蹴ったりでないか。郵政でなく憂政だ。
(7・31・中山 輝)

掲載誌:『日本詩』 第24巻・復刊66号 通巻166号 1966 8月号