随筆

「巻頭寸言 ベトナムの平和を祈る詩・人間存在の詩・現代詩の周辺、そして青少年を救う詩」

★ベトナムは南北朝悲史となり世界の台風の眼となった。下手すると全人類滅亡になりかねない危機だ。前年本欄で書いた「パラリンピックの歌」作詩者・身障の金子恵美子さん(30歳・富山県入善町舟見出身、東松山市)が“ベトナム平和の歌”=空には暗い爆音が/太陽の光を消していく/声はり上げて歌えなくなった子供らよ/明るい太陽をかえしておくれ/ベトナムの空に明るい太陽を=にはじをる3連の詩を涙で書き八洲秀章氏が胸うたれて作曲、TV放送から労音などを通じ飜訳して世界各国に届け平和をよびかけるという。金子さんの心からの祈りが詩(それが本当)となったのだ。万国の詩人よあとに続け!
★高村光太郎氏歿後数年、池袋西武百貨店(詩人堤清二店長)で3月12~30日「高村光太郎と智恵子展」が開かれ盛況だったが、草野心平氏は光太郎氏について読売3・21日付夕刊で「典型的な人間存在の詩」として述べた中で“人間が詩を書くのでなくて詩が詩を書く(変な比喩ではあるが)そんな感じの詩がやたらにあったりする。ポエムは無数にばらまかれているがポエジーの充溢はさっぱりない。そんな情景が眼に映るのはやりきれない”とし光太郎氏が“本当に再評価されるのは30年程さきのような気がする。”と厳しいようだが次世代の人々に示唆しているのはいい。高峰を登るのは至難だが感情的に盲(妄)信するのでなく、光太郎氏をつきぬけることを草野氏は期待しているといえる。可学!
★「現代詩手帳」が「現代詩はほろんだか?」を特集し詩壇の話題となったが、安東次男氏も読売3・9日付夕刊でとりあげて設問について詳述し“一般的な現代詩など、私にとってどこにも始まってはいないのだ”と結んで(皮肉ってか)いる。現代詩はこれから始まると皆さん御存じなのにねえ。ところで朝日3・12日付夕刊によれば詩集は著者も驚く売れ方だそうだ。サトウ・ハチロー氏の「おかあさん」をはじめ「世界の詩」(30冊)や「青春の詩集」や主婦詩人高田敏子さんの投稿詩「野火」創刊などをあげ4月昭森社が「詩と批評」を創刊、秋に新潮社が現代日本詩人全集を刊行する等々「現代詩」が読者との話し合いの場を広げていることに触れているのはいい。ただ現代詩の読者を拡大しているものに歌謡・民謡・童謡があることを忘れているのはどうかと思う。
★例によって一言する。政府も大人も青少年の非行化(自分の姿を省みずに)を論じ法律や教科書で何とかしようと考えているようだが、学歴など問題じゃない/年齢なんかいくつだっていい(中略)みろ!ぼくたちのまわりに/黙っちゃいられないことが/いっぱいあるじゃないか/胸元をつきあげてくる/このぎりぎりのいかつい奴/こいつだよ/きっと/ぼくたちの/詩という/奴は!との片鱗でもよんだことがあるか。これは名古屋市の地方出身の若い工員たちが結集して昨年末発足した詩のグループの中の一人の作品だ。異土で「詩を介して孤独な仲間たちと励ましあい、前向きに生き抜いていくことができれば、との願いが判らぬのだろうか。詩が救いなんだ。
(41・4・3夜、中山輝)

掲載誌:『日本詩』 第24巻・復刊64号 通巻164号 1966 5月号