★昭和初頭から詩人として活躍約40年、児童文学では昭和17年「氏神さま」(講談社刊)をヒットしてから25年間、生粋な情熱を土・郷愁・人間へと傾注し不断の誠実な歩みを重ねて来た おの・ちゅうこう(小野忠孝)君が昨秋児童文学「風は思い出をささやいた」(講談社刊)により、野間児童文芸賞推奨を受賞したのを機に、浜田広介、藤沢衛彦、福田清人、白鳥省吾諸氏をはじめ本誌の能村潔早川嘉一、源氏鶏太、島田ばく氏ら約二百人発起し、二月二十日午後二時半から銀座サッポロビヤホール二階を借り切り「おの・ちゅうこう氏激励会」が開かれた
★「人さまに御迷惑をかけるのは嫌だからやめてくれ」と固辞する本人を説得した島田ばく君以下の門下生は恩師のため涙ぐましい準備を正月早々からはじめたのだが、不馴れな島田君らのため、おの君と約40年来の好友の間柄でもあるので私も一肌ぬいで世話をすることにした。一切は小野君の門下生がしてくれたので早川嘉一君歓迎会や能村潔氏「反骨」祝賀会の場合と違い、全く助かった。
★会場は櫛形の着席形式にしたが50人程の予想をこえ約90人の盛況で午後一時頃から仙台、山梨、群馬等々の遠来者が続々詰めかけ定刻の二時には殆んど満員。受付は島田ばく、平林美佐男両君の夫人に講談社編集担当の小島福司氏らであったが、ケガして不参となった広瀬充氏の金一封を持って代理に来た花沢豊君も夫人方の途惑いを見かねて応援。
★午後二時半、世話人の一人として私が司会を始めたが、司会者綱島嘉之助氏が急用で不参となったので、私と樋口力講談社児童課次長の二人で進行係をした。先づ発起人を代表して 福田清人氏(作家、日本文芸家協会理事、児童文学家協会理事長、立教大学教授)は開会の挨拶を述べ『小野氏は最近オトナシクなっているが、このように激励したら四五年前のように元気になるのでないかと聊か心配だ』と笑わせ『作品は最優秀作の一つで、私達大人や子供の胸をうち永く残る作品だ。今後をお互いに期待しよう』と祝福。西村俊成講談社顧問(昭和13年幼年倶楽部編集長時代、小野君を登用して以来同君を可愛がっている人)の音頭で乾盃。祝辞が次のように述べられた。
(略)
〔お詫びと御礼〕
①案内状にミスプリントがあり、発起人の名で藤沢衛彦、広瀬充両氏が脱漏、講談社週刊編集局次長牧野武朗、随筆家福田蘭童諸氏の名が郎、堂となっていたことなど、世話人の一人としてお詫びする②同人以外の小野君のために貴重なスペースをとることを早川嘉一、坂田嘉英君らが不満としながらも私の頼みを容れて呉れた点、多とする ②福田豊四郎画伯や南雲今朝医博らが温情深い玉信を下さり ④久保田清一歌人が恩師の小野君へ贈るべき自家栽培の生椎茸を沢山下さったこと、紙上を藉りて深謝申し上げる ⑤一切の資料が小野君の手許にあるため不備に終った点、不悪諒とされたい。
(41・3・6夜酔記)
〔写真説明〕上段右から主賓席(右端は乾盃音頭の西村俊成講談社顧問)
詩を歌う小野忠孝氏、祝辞の浜田広介氏、開会挨拶の福田清人氏、2段目右から福田蘭童、五十公野清一、小野夫人、島田磬也、曾我四郎諸氏、3段目右から村松正俊、長谷部三郎、小野氏父子、スナツプ、小野氏義弟小尾氏、下段会場スナツプ(奧に立つのは中山氏)
掲載誌:『日本詩』 第24巻・復刊63号 通巻163号 1966 4月号