随筆

「「朱泥」について」

 11月下旬、伊福部隆彦氏から『林光則の詩集を読んだか』と電話があった。『まだ読んでいない』といったら『読んで見給え、いい詩集だ』との仰せだった。あれから二ヵ月余になった今、中野武彦君から催促されて何か書こうとやっと開巻する次第でまことに申訳ない。実は他の数人から著書を貰いながら御礼の葉書一枚まだ出せずにいるという有様で、さだめし誰彼は『無礼千万な奴だ。増長していやがる。礼儀を知らぬ奴だ』と怒ったり、軽蔑しているだろうと思い、聊か自己嫌悪気味になっている。「朱泥」の著書にもお礼の葉書一枚出していない。いずれゆっくり拝読します―とでも葉書を出せば気が済むのだが、ゆっくり読んでから感想を書いてお礼の手紙を出そう、と思うものだから、ゆっくり読む暇がなくて失礼しているというのが実情である。
 「朱泥」を開巻してみてびっくりした。僕が五ヵ月足らずで書いた41篇を収めたと後記にあるが、これは約百篇の中から自選のものらしい。林君に初めて会ったのは中野武彦君の「うるめの唄」出版祝賀会を中野君宅で内輪で開いた時で、即席画を描くのを見てヘッポコ画家かと思っていた。二度目は、「朱泥」祝賀会で、三度目は年末、中野君宅で同祝賀会の色直しの会が林君主催で開かれた時で、著書をよく知らぬが、画もよくし、篆刻もやり、発明家でもあり、実業家で――等々、ともかく一風変った風流人と思った。私は「詩は人也、神也、一切也」を持論としているが、作者と作品は不二のものだ。そこで、厳しく高い批評精神の持主で滅多に凡百の詩を褒めぬ伊福部大人が褒めた「朱泥」を素読してみて『なるほど』と思った。中野君は三枚書けと下命して来ているが、もう余すところ一枚になったので、作品の一々については書けないから、また詳評は誰彼が書くだろうからそれに譲ることにする。ただ数多い佳作の中の一つ「調和というもの」に「壺が立派であることが 壺を孤独にする」の二行がある。これによってみても林君の人生観の深さ、心境の高さが窺える。また「青の宴」の終る行「いきなり添水石臼の響きに 人々は無にかえり 青の宴のはじまるを知る」にも「自葬」の末行「余韻が邪魔になることがある」(拾い出すとキリがない、パラパラとめくって奇数の頁の終を拾ってもこの通りになる)にも見られるように、事物の秘奧を抉り出して呑み下し、珠玉にして吐く美事さは非凡だ。鋭い観察、技巧の冴え、鮮烈な感覚などの上に、苦悩の年輪の襞から思惟を虹のように噴出させており、導入も転結も成功させている点、天才といっていいだろう。ふと思い出したのは期せずして同じ頃出た洋画家大勝恵一郎氏の詩集「不死鳥」だ。大勝氏は洋画制作多年の末に詩を開花させ二、三年間の作を纏めたのだが、林君のは昭和14年五冊目の詩集「冬眠の莢」を出してから26年目の六冊目だから、大勝氏とは対照的で、しかも似た詩境であるのも奇だ。大勝氏は洋画家だけに作品は西欧的で、林君は俳画家?だけに東洋的だ。(飛んだところで大勝氏を出して済まない)やはり「詩は人也、神也、一切也」を泌々と感じさせる。
 それはともかく、林君の詩に感心もし、今後に期待すること大であるが、それよりも「人間・林光則」に興味をもっている。今後、何冊かの詩集を出すだろうし、また出してほしいが、もっと強烈な個性を発揮したモノにしてほしいと願う。一見して「林光則の詩だ!」と判る詩を書いて貰いたい。というのは興味ある「人間・林光則」の真髄が出ておらず、多少、器用にまとめあげている嫌いがみえるからである。いってみれば技巧が整いすぎていて、ヨソゆきの装いがあるからだ。
 酔余、一枚を超過した。適当に中野武彦君が削ってくれるだろうと安心して駄筆をおくことにする。
(二月一日正午)

掲載誌:『日本詩』林光則詩集「朱泥」出版特集 第24巻・復刊62号 通巻162号 1966 2、3月合併号