★亡国20回忌に当る8月15日が来る。明治100年論・戦後20年論が論壇を賑わせたが、多くの若人はマスプロ規格品になり、“祖国喪失”から“人間喪失”が当世流と心得ているようだ。世界はマクロ・ミクロ・普遍化、個性化、遠心・求心等を対応させながら渦巻いて一定の方向へ進んでいるが、日本は落ちる所へ落ちねば救われんようだ。ベトナム等が示すように民族愛の焔は燃え盛り、米ソ等が祖国愛を強調し自国語教育に懸命だ。英語が甲で国語が丙というのが当世大学生だが、国語の乱れは国の乱れだ。日本語や日本の文字を知らず、知ろうともせぬ“亡国(国を滅ぼず徒輩も含む)の民”どこへゆく。真の日本人らしい日本人は20年前の8月15日消えたきりなのか。本誌同人も数人(川口清、高柳三郎、浜谷信吉、芳野信義、納藤英麿等々)20年前“さらば祖国よ栄えあれ”と散華し異国の草に埋れたまま骨も拾えない。国語が上手でも精神が米ソの奴隷化している似而非詩人の横行をまだ許しておくのか!と嘆き怒る川口清らの声が胸底をうつ。せめて本誌同人だけでも日本人らしい日本人の詩を“迎え火”に高々と揚げ、新時代の先駆をなろうよ。
★読売新聞、中央公論等の“日本の歴史”等がベストセラーになり、漸く歴史への再認識が高まって来た。殊に戦後の奴隷族(所謂“進歩派”を含む)のため目隠しされて来た高校生の70%余が神話等を初めて読んで感動している由だが、そんな本を買える者は少数だ。マスコミは少し位商業主義から本道へ戻ったらどうだ。尤も籠から出られぬ月給鳥氾濫では云う方が無理か。先ず経営者共の根性から叩き直さねばダメだ。思えば思えばどこを向いても腹のたつことばかりだ。
★本欄で触れた河野一郎氏が急死した。役(厄)人占領下の日本(吉田―岸―池田―佐藤等々歴代醜相から醜怪欺員、痴事、死長等に至るまで)で一度天下を握らせてみたかった一人だった。それほど“日本人”払底の日本だ。そこで“真夏の夜の夢”に“これは”と思う“反骨”のある詩人だけで詩人内閣を作ってみて自慰している。詩人首相の候補が多いので面倒臭くなり筆者が首相になり、誰彼を閣僚にすえてみて楽しんでいる。互に“1国1城の主”の鎖国をやめて開国してもいい時だからである。首相になりたい詩人はハイ手をあげて!但し無料奉仕のこと。
★第3回歴程賞(5万円)は6月3日金子光晴氏(68)の全文2,300行の書きおろし詩集iLに贈られた。“老人になって人生への初見参をする”と序にあるが、今更の感がする。日本の詩の読者数は詩人の数と同じ3~5千人と朝日夕刊(7・20)で誰か書いていたが馬鹿も休み休み書け。本誌さえ千部出して足らんのだ。1部を数人廻し読みしているから本誌だけで読者数千人いる。尤も売れる詩集といい詩集とは必ずしも同じでない。今時詩集を買うのは(レコードも同じ)多くミイハア族だ。金の奴隷詩人はミイハア向きの詩を書け。反骨詩人はセッセと金にならぬ詩を書け。濁世に大事なのは“正直者だけが甘んじて馬鹿を見る事が出来る特権者”を示す事だ。万国の詩人よ、核戦争は刻々迫っている、今こそ起って大いに“志”を述べる秋だ。(40・7・24夜 中山輝)
掲載誌:『日本詩』北日本文苑改題 第23巻・復刊57号 通巻157号 1965 9月号