二月八日夜「坂田さんが亡くなった」と綱島嘉之助兄から電話で知らされて、「え?」と絶句した。というのは昨年の十一月坂田さんらの作品集出版記念祝賀会が開かれた時まだお元気で「自動車で来たが込んでいて一時間かかって遅れた」などと苦笑しながら語っておられたので、「もう大丈夫」と思っていたからである。
坂田さんとの触れ合いは、藤田健次氏の日本民謡芸術協会(現「日本作詩作曲家協会」)や本協会などの関係による十数年間に過ぎないが、人柄などについては藤田健次氏からよく聞いていたので特別に親近感を抱いて接して来た。私は詩友がどんな職業に就いているのか知らないし、また知ろうともしないが、藤田氏から坂田さんの若い日の捨て身の勇敢さを聞いていたので、あの温厚、柔和な坂田さんの詩人としての顔と、厳しい「任侠の世界」に生きる顔とどうしても合わなかった。
街商新聞に「神農」の事を書いておられ私に「富山売薬も神農を祀っているが、神農についてどう考えるか」とよく質問された。私なりの考えを語ったら「何か書いてくれ」と言っておられたが、書かずじまいだった。
大分前にどこかで飲んで、広瀬充氏ら(古谷玲児、本多明の酒豪連も一緒だったろう)と高田馬場駅横の古い共同便所で並列放水して坂田さんの家で飲み直し、令息らを紹介されたが、あの令息が立派に成長されて会津家六代目を継がれたことを二月九日の葬儀の時披露されて「よかった」と思い、坂田さんも安心して瞑目されたろうと想った。
坂田さんの詩集「火の国の恋」の末尾に
「顔(1)―自画自讃―」として
モサーッとした顔である
頼りない顔である
これが浩一郞の顔である。
頬骨が角張っていて
女にもてる顔でない
いやいやもてるもてないなど
問題ではない
美男でなければ
良い男でないと思うだろうが
この顔は頼もしい男の顔である。
だがいささか貧相である。
あゝ好漢惜しむらくは金がない
という詩があるが、歌い得て妙である。
坂田さんについての思い出はいろいろあるが、豪華な文芸雑誌「塞外」を忙しい中に出したりして多角的に活躍しておられたのも忘れ難いし、数年前、NHKテレビの「縁日」で浴衣姿に扇子で爽かに語っておられたことや、本協会総会での名議長ぶりのお姿も返らぬ夢となってしまって、寂しさ限りもない。(52・3・17)
掲載誌:『日本歌謡』81号