文学といってもピソからキリまであって、時代と所と人(天と地と人)によって違うこと勿論で、文明・文化が進むにつれてその領域が広く深くなる。別に文字論めいたことをいうつもりはないが、ギリシヤ時代に叙事と抒情に分かれてから、いわゆる「詩と散文」がそれぞれ分野をひろげ、時には叙事詩などの原始的な形態が一時的にしろ、珍しがられることもある。日本でも福田正夫、伊波南哲等の詩人が昔叙事詩を書いて映画化されたこともあったし、千葉の市原三郎君(花園詩人社主宰)が大賀ハスの大賀博士らを歌った長篇叙事詩を今も色々と書いている。私も市原君にいわれて叙事詩を書きはじめたが、忙しくなって途中でペンをすてたこともある。
散文は視覚本位で黙読向きだが、詩文学は聴覚、音読向き(視覚、黙読も兼ね備える)で、それぞれ特色をもっている。しかし、文学は本来、文学がなかった時代、日本の「語り部」のように耳から耳へ語り伝えるものだったから、聴覚本位で、いねば叙事詩であったこと、いうまでもない。アイヌのユーカリなど一例である。
文学は文武というように武力(生物が生存し種を残すための本能的な優勝劣敗の自然律の現われ)という有限、物質、文明等々のものに対する無限、精神、文化等々なもので、武は一時的、文は永久的なものであること、これもいうまでもないことである。俗に「ペンは剣より強し」などといい、宮本武蔵(私の大嫌いな剣豪だが)も剣禅不二でやっと悟入したというし、現にソ連の体側派の文学者は反体制派の同志を非難し、獄中へ入れたり、国外へ追放したりして真実をゆがめ、中共とて同様だが、権力(武力)を用いても、新しい歴史の先駆者となり、時代の証人としてペンをとっている者には及ばない。こんなことは古今東西を通じた多くの実例が示していて枚挙に暇がない。
文学は真理を探求した過程を表現し、真実とウソをないまぜて、万人に判るように表白し、想像即創造で、無限をみつめ、新世界への扉を開くものだから、永遠の生命力を保ち万人を慰め励まし諭し教え導く光明だ。聖書の「太初に言葉ありき」でないが、言葉に代わる文字によるもの、つまり文学なるものは神性に直結する。いわば真善美三位一体の聖なるもの(宗教精神といっていい)の代弁の役割を持っている。中でも散文より詩が端的にその役割を果たす。千言百語よりも一言の詩の力がどれだけ神性を帯び、威力を輝かすことか、キリスト、釈尊、中国の孔、老、孟、墨、列、道、荘の七子等々の一言が、この世紀末・末法の時代にどれだけ生きて、どれだけ多くの人々を救っていることか、多言を要しない。聖書にしろ、経典にしろ、古代中国の礼・詩・易等の各経や七子の教典等々は詩の綾織りといっていい。詩は文字通り言篇に寺と書くが、これは宗教精神を言葉に象徴的に表現するもので、仏が昔から多数の弟子共にいって来た持論「詩は死と対決して羽ばたく」ものである。万物、特に万人は「歌わざる詩人」であるが、古来の詩人(中には「読み人知らず」として万葉に「防人」の歌などをよんだり、今も歌われている伝承民謡に無名の庶民がいい詩を歌ったりしていることも御存じの通り)は、それを代弁したまでである。
よく音楽、美術等の芸術に詩があるとか、ないとか、いわれているが、これぱ生と死の接点に立つ神性の有無を指すものだ。ところで、行人の中にも、ピソらかキリまである。いわゆる宮廷時人(桂冠詩人)は古来脚光を浴びており、ノーベル賞でも詩人が多いが、これらは権力に結びついた御用詩人といっていいだろう。評価するのは支配者であって、被支配者でない所に問題かおるのだが……。
庶民は生きるために支配者に迎合せざるを得ないしとかく無学文盲で表現方法を知らぬので、支配者の評価に従い、追随しているが、真実に徹し、真実に生きているのぱ庶民である。本モノは主流にいるのでなくその外に存在する。それらの哀歓が、巧拙は別として魂のうめきとして短歌(例とば伝承民謡など)に自然琉露の形で奔り出る。それが胸を打つ。詩は本来「天の声」であり予言だ。万葉集の中の童謡など、庶民が警世のため詩の形で支配者に隠喩で予言したものだ。前述の各経典に各教祖が多くの予言をしたのが含まれていて、経典そのものが詩となっている。
ところで、いわゆる文豪は詩に出発して詩に終わるのが通例だ。彼の「詩は滅びる」といった菊地寛などは本当の詩を知らぬ事業家であり、通俗作家だ。それでも戯曲では詩人イェーツの影響を受けている。いわゆる名作といわれるものの根底には詩情が流れていること衆知の通りだ。
詩について書くとキリがないが、詩は精神美の結晶で、天地人を貫く。ただ各人各様で形式、表現方法が違うだけ。根本は一つだ。よく「何のために詩を書くのか」という質問にあうが、私の場合は「何のため」でもなければ「誰のため」でもない。強いていえば、自分自身のためで、書かずには居られず、言ってみれぱ、精神的なヘドであり、ウンコで自然的な本能的な排泄物にすぎない。誰に読んでもらわなくてもいいので、単に「生きている証」として、瞬間々々、生と死の交差点に立ち、孤独な一存在としての哀歓を歌いながら文学という符号を表わすだけである。従って十代から世の毀誉褒貶を度外視して生きて来ている以上、誰一人読んでくれなくともいいのである。源氏鶏太君ら紅顔可憐の美少年たちに対しては文学のことはあまり教えず、大抵「生と死」の問題、どう生きるか、生きていくべきかを教えたにすぎず、また入門を頼みに来た少年少女に対して「何のために詩を書くのか」と質問し、私の考えと一致した者には入門を許し、落第した者には「二度と来るな」と拒否した。また一番弟子の川口清や二番弟子の菊地久之(みな故人)らを戒めたことは「私を捨て石として、私のいいところを肥料にし、私の屍をふみこえて、前人未踏の精神的な世界を開拓しろ、鶏口となれ、牛後になるな、小さくとも一派の御開山になれ、今の世は目明き千人、メクラ千人だが、全部メクラと思え、一人の知己がなくともいい、百年後に一人の知己が現われるのを待つことだ。
いや、百年後に一人の知己が出なくともいいではないか、どう死ぬべきかを考え花の散りぎわを考えろ、そして独自の個性を発揮して詩に書くことだ。詩ぱエキスだが、詩から他の文学が出発する」等々だった。
彼らは、ついに私以上になり、私が彼らに師事しなければならなくなった。
私の持論は他に「作品以前の人間性が大事だ」ということである。この人間性が作品に反映するのである。
昔「形式が内容を決定するが、内容が形式を決定するか」と愚問を闘わせていた有名人がいたので、一寸反論を書き「形式と内容は不離一体」の色心不二論をぶっ放したことがある。文学(に限らず芸術一切)は人間性に出発し、人間性に終わるのだから、いくら作品(こんなものは技法、技術の問題で猫でもピアノの鍵盤を歩いて新しい音楽を聞かせてくれるし、杓子もお釜の中で踊っていい音色を創造してくれる)がよくても人間性が駄目だと、敬意を払う気になれないのである。さし障りかおるから一々の具体的な名など伏せておくが、手練手管、小手先を弄する器用人(器量屋人でない)があまりにも多く、中にはコンピューターを使って新しい詩を作る(詩は作るという一面ぱあるが、本筋は生むものだ)連中もいる。そんなことをしていては、ついに自分に愛想をつかしてウソザリするだろう。今の世は「帰って来た酔っ払い」の歌謡のように音を操り、耳を欺している小手先が流行し、それが金銭につながり、水泡のように消えていく。それはそれでいいに違いないが、それでは人も世も救われない。仮りにも詩人(精神に仕える詩徒)である以上は、あくまで「一人ぼっち」の細道を辿り、さらに前人未踏の道を拓かねばならない。これが詩人という者の喜びであり、また特権である。本当の詩なんて金銭に無縁であるのが本筋である。よく「詩を作るより田を作れ」といわれたが、一面をよく示している。一文にもならぬ詩をかくよりも、生活の糧を作った方が、本人は無論、一家一族が助かるにきまっている。だが、貧しければ貧しいほど本モノの詩が生まれる。つまり餓死寸前の背水の陣で、魂の叫び、うめきを天にも届けと吐き出さざるを得ないからだ。これに反して、物質的に富めば富むほど、心の垢がたまり、心が貧しくなる。貧乏に生まれ、貧乏に育ち、今でも貧乏をしているところからの、負け惜しみでない。
詩は中々むつかしい。行けども行けども果てなく、虹のようだ。人生の峠をこえて、未知の「死」へと下り坂を背後から誰か、何かに押され、かけあしで走っていくこのごろ、特に感ずる。一つでもいいから、死ぬまでに自己満足できる詩を書きたいと念じている。
詩の中でも短詩(俳句、短歌、川柳など)はなおさらむつかしい。多くの制約にしばられているし、間口は広く奥行は深い(仏教と同じ)から骨が折れる。それにくらべたら、所謂「現代詩」なんか甘チョロい。訳の判らぬ言葉や文字の寄せ木細工をしても一応は通用する。書いている本人さえ、何の詩を書いているのか、判らぬのだから世話はない。そんなのが、案外〝前衛〟〝反体制〟としてもてはやされる時代だ。我と思わん者は、辞典をパラパラと繰って目に入った文学を拾ってテニヲハでつなぐと、何となく「詩人」になったような気がするだろう。人間という馬鹿は何でもむつかしく言ったり書いたりする馬鹿を尊敬し易い。現代詩は謎語とよく非難されているが、案外非難している者が謎解きに力を入れているかも知れない。一般紙の社説(何か社説なものか、その新聞社独自の社の主張がどこにもなく、大同小異で、新聞の違いといえば「小説」ぐらいのものだ。この小説も変な言葉、文字で「小説」の向こうを張る「大説」 「中説」がない)とて規格的な商品で、難しく書けば、読者という馬鹿が敬意を払うとでも思っているらしい。難しく書くことは多少勉強すれば猫でも杓子でもできるが、判り易く書くということは骨が折れる。この至難な道をあえて切り開いて、未知の未来を現実にし、さらに既知にするのが詩人という馬鹿の責務であり、その存在価値を世に示す所以だろう。木の葉が沈んで石が流れる末法時代ゆえに、なおさら詩人という馬鹿は馬鹿に徹すべきである。
次に散文だが、段々細分化し、評論、随筆をはじめ小説、戯曲等が領域を広げている。SF小説など一例だし、今後どんなものが生まれてくるか判らない。ただ、これは時代の証人としての役割を持っており、或る面では審判者としての使命を負っている。現実に即し、自分という独自の一存在に託して、事物という形を追い、架空の世界を現実の形で如実に描くところに一方の存在価値があるわけだ。小説にしぼっていうたらば反対に
「――そこには一つとして「現実即作品」を示すものは存在しなかった。(中略)なにを言いあらわすとは、つねにある現実の発見なのだ。「言う」という行為自体が状況をすでに変えているのである。小説もまたこの意味で現実の可能性の表現でなければならない。(中略)トルストイの厖大で多様の世界も、十九世紀ロシアの貴族社会の直接な反映ではありえず、実際の現実はおそらく笑うべく卑少なものだったにちがいない。ということは、それがリアリズム小説といわれるものであっても、そこに描かれた世界は、トルストイが発見したビジョンにほかならないのだ。おそらくこうした小説世界の自律性に真正性、絶対性をおくことによって、小説は現実からの拘束を説し、遂に想像力が現実の可能性をひきだしてゆくにちがいない。すくなくともこうした精神の冒険をせまる事態が、世界的に起こっている。(下略)
と、九月、パリから帰った作家辻邦生氏がブルーストについて読売新聞夕刊(10月9日付)に書いているように小説は千手観音のように多面性をもっている。
私は少年時代から考古学小説特に(有史以前のもの)をかきたいと願っているが、もっと長生きができて創作に専念できる身になったら――と夢みている。それで私の代わりにと知友の作家に色々進言、提案してきた。現代モノを書いていたK君にぱ「年が年だから直木賞を狙え、そのためには筆名を天下一品にし、誰でも覚えられるようにし、ずっと昔に溯上して平安朝モノを書くように」勧めた。K君は「なるほど」と素直に私の言に従って平安朝モノを書き、さらに奈良朝モノを書いて直木賞候補に何回か推された。またN君に対しても同様勧告したが、K君は芥川賞と直木賞候補に数回なり、独自の作家として活躍している。N君が流行作家になれず、草深い田舎に埋れているのは惜しいが、悲劇モノばかり書いているから――で、その旨言ったが、気にくわぬと見えて、オイソレと従ってくれない。もっとも老境に入りつつある頑固さからだろう。芸術家は、もっと素直になり、万物を師とすべきものなんだが……。
いろいろ書きたいことが多いが、時間がないので、いい加減にしよう。
文学は時と所と人によって違って現実を反映すること、冒頭に述べた。とかく東西に文化を分けたがるが私は南北を対比させて見ている。日本でいえば北海道東北出身の作家、詩人と九州出身の人々とは、作品の上で肌あいが違う。北国の人は哲学的、瞑想的な作品を多くかき、南国の人は感覚的に情熱、肉感をこめて書く。北が氷なら南は火だ。一、二の詩人を例にするならば、北の福士幸次郎氏、南の北原白秋氏がいい対比になる。これはヨーロッパでも同じで北欧の詩人、作家と南欧のそれとはまるで違う。伊福部隆彦大人も北にあたる山陰の出だから、その作品によく土地柄から来た人間性が示されている。一々書く暇はないが、瑕な人は調べて統計にでもし、分析してみるといい。 万物は環境に支配され次第に変質するもの。まして人間は環境の影響を強く受け、それが宿業のように生命の中へとけ込み、文学という精神的所産として現われるのは当然である。
文学の学は、マネブ(真似する)ことからはじまりそれをつきぬけて光を放つ。文学をモノする者は別として、文学を愛し親しむ者は、それによって人生勉強をすることができ、心の支えとなって「生きる」ことへの勇気を出すことができる。
文学を読むことができなくても、誰かに読んでもらって聴覚を介して想像の世界へ入ってゆける。まことに「有難いかな、文学」である。
私も古本あさりが好きで、読みたい本を片っ端から買って、他日読むのを楽しみにしてツソドクをしているが、ツルゲネエフの散文詩なんか、いくら探しても見当たらない。
ところが、世の中は面白いもので、神田の古本屋で私の処女詩集「石」 (昭和五年刊)を買って送ってくれた詩友もいるし、小詩「詩と民謡」(「日本詩」)の初期のもの一冊手に入れたと電話をよこし、「一ぺんみせてくれ」と言ったが、その詩友の恩師(私の親友)の作品ものっているので、恩師に贈呈したと後日いってガッカリさせた。
どうせ死んで無に帰るのだが、多少残るのぱ、精神的遺産である詩などであろう。(12・1)
掲載誌:人生道場 昭和45年1月「人生よもやま談義」