どうも現代ッ子はエリート、親達の意識過剰の犠牲になつて、落第したとて自殺しすぎる。及第するとエスカレータ式に押し出しの点数を稼ぎ落第族の眼下に眺める。この調子では落第族は稀少価値の故に大勲位を貰うだろう。
日本は規格品のテントリ虫の秀才族と、乞食根性の勲章族の氾濫になつてしまうに違いない。老頭連は精々永生きして「世のゆく末をつくづくと……」楠公の述懐をしてみた方がよかろう。
昔はよかつた!というと馬齢が馬脚を現わすが、昔の落第族は逆で偉大であつた。私の中学時代には三年上級のM君が一年おきに原級に残り、私と五年生の時一緒になつた。細君は女子師範出の小学教員なので『家内に算数を習うとる』と笑つていたが、暑中休暇に馬賊を志して渡満し、馬賊にも落第して逆戻り。ついに私の下級生になつて何年計画かで卒業した。
馬賊への初志貫徹のため再び渡満し、呑ん兵ヱとて酒友に関東軍参謀連を得、満州事変勃発と共に全満の鉱山権がM君名儀になり満洲国誕生後、鉱山王になつた。
郷里へ大金を送り、神社仏閣に寄進し、敗戦当時、自決して曠野の土となつた。こんな落第族は無数にある。私は不幸にして落第できなかつため損をした。もし、学生時代に落第していたら大いに発奮して、今ごろは大金持になつて、及第族を顎でこき使つていただろう。
同郷の大谷米太郎翁(84)は何百億かの金持で元宮様の邸跡を占領し紀尾井坂かにホテル・オオタニを建てているが、この大谷翁は草相撲で評判になったので四十歳で上京、力士を志したが、十両にもなれず力士に落第。そこで発奮して酒屋、鉄屑屋へ転向、今日の大をなした。大谷翁、力士に及第していたらどうなつたか、測り知れない。
私は学校はエスカレーター式に及第族で出た代りに、社会へ出てから落第族の仲間入りした。田舎新聞社長の落第をはじめとして、事悉く志に反して落第ばかりしている。
由来、学校時代に一度落第すると同級生は倍になり、二度すると三倍になり、及第族全部は軽蔑と共に同情し、何かと支援する。秀才だと自己過信や平均乙の連中の嫉妬心から孤立しがちになる。社会へ出てからの落第は私のように軽蔑されるばかりだ。だから、修学中は大いに落第を心がけた方がいい。(詩人、元北日本新聞社長)
掲載誌:『詩人連邦』1964年6月号 99号