村の下に村があり 川の下に川があり 墓の下にまた墓が……
おれの親の墓は越中に 先祖代々の墓は金沢に そのまた先祖の墓は大和路に…… そのまた先祖の墓は大陸か 南の島か……
おれの墓はどこにある
妻よ子よ おれが死んだらおれをどつかへ寄付し 解剖させ 骨や臓腑を標本にさせ いらないものは焼きすてろ ガンジーなどの真似をしておれの焼灰を川へすてるな
だが 世のしきたりが煩さかつたり 心さびしかつたりしたら 一かけらの残り灰を拾い どつかの山へ埋めて 杉苗でも植えろ もしお盆に人並みにおれを訪ねたくなつたら 線香代りに誰かのすては煙草の吸い殻を 花や水の代りにかけ茶碗に少しの焼酎でも供えておくれ
妻よ子よ おれはおれの墓を作つているのだ 酔つて書くヘドのような一文にもならぬ下手糞の詩がそれだ 誰一人おれの墓碑銘代りの詩なんか読んでくれなくともいいのだ おれが永遠に生きているという証(あかし)の墓だ
妻よ子よ 墓は生きている者のためにあるものだ だからおれの一切は「生きている墓」なんだ
妻よ子よ 葬式無用 墓無用 もしも少しでも 百円でも千円でも金があつたら 貧苦のための一家寸前の人々に無名で贈れ おれはそこではじめて母の「無」の懐ろへ帰れる
おれの墓は そこらの草木に 石に 虫けらの内在(うち)に無数にあるのだよ
掲載誌:『詩人連邦』1967年2月号 130号