☆俳人西東三鬼の死去寸前の句集「変身」は“青高原わが変身の裸馬逃げよ”の一句の“変身”からの題だが、この句から“変身”をとれば何もない。変身、万身と観ずる所に科学、宗教、芸術一切の世界観があり、所謂民主主義の真随もある。変身観こそ一切の鍵。三鬼は「水枕ガバリと寒い海がある」の一句で開眼したと述懐しているが、こんな開眼なら若い詩人では普通だ。問題はその開眼が技巧開眼か、人生開眼かだ。三鬼、惜しむらくは詩人(死人)の世界で俳人(廃人)の狭い世界の人だったため孤独であったといえるだろう。
☆「流行歌やコマーシャルソングだけが現代っ子の歌のすべてではない。こどもたちの気持がおとなたちには“わかっちゃいない”ところから、いわゆる“歌ごころ”もズレてくるのでなかろうか」(読売五・一四夕刊)であるが、マスコミ自身「判っちゃいるけどやめられない」だろう。すべてマスコミは大衆の責任に帰して責任逃れし、その癖大衆に迎合しているこんなことでは老若ともに助からぬ商魂の逞しさはジャーナリズム以下ETCに現われ、その気持は判るがそれでは済まされない。一体今日の日本のマスコミ界に真実を追求する真の詩人(少くも詩が判る者)が何人いるだろうか。噴飯どころでないのだ。迎合マスコミを叩き直すのは私共詩人の責任である。宇宙的であれ!(T・N)
掲載誌:『詩と民謡』1962年7月号 20巻4号