随筆

「詩界随想 新しい言葉とノーベル賞」

☆前号で日本語の混乱に触れたが所謂歌謡を書く若い人々に字を知らぬ者もいる。戦後教育の結果もあるが深く考える要がある。米国の三S政策の反映として戦後はムード本位となった。眼はTV、映画、美術等に、耳はラジオ、音楽、言葉等に定着、ダイジェスト族が殆んどとなった。記紀万葉など速度に合わぬからでもあるが、それよりも目と耳でとらえて口に出す日教組方式に馴れているからでもあろう。三浦朱門氏は「おとなどもが国語問題が何のかのと騒いでいる間に、それとは別に、若い人の言葉や文字は、彼らの新しい精神にふさわしい、新しい表現を捜しているようだ」(37・3・25毎日)と述べた。味うべきだ。老頭達も時々若い世代に溶け込む要がある。自らの不勉強を若い人々の責に帰するのは自らの怠慢を告白することでもある。
☆ノーベル文学賞に日本からも候補が出るらしい。三人候補に谷崎潤一郎、川端康成等々の作家が上っているが、詩人としては僅かに西脇順三郎氏位だ。もし日本からノーベル文学賞受賞者が出れば、湯川博士と二人、アジアでは文学賞ではタゴールに次いで二人になる。尤も海外に飜訳されているのが条件の一とある。賞なんて真価の証でないから、どうでもいいが、ないよりマシだ。しかし我々は賞でなく証を念頭に進むだけだ。(T・N)

掲載誌:『詩と民謡』1962年5月号 20巻3号