随筆

「詩界随想 ソ連の詩人と西条八十氏」

☆「一般にソ連の詩人の地位が、日本とは比較にならぬほど高い。(中略)その根本的理由としてあげられるのは、ソビエト文学における詩文学のジャンルが伝統的に高い地位をしめていること、詩の読者層が非常に広範でかつ深いということである。(中略)詩人たちの中には、若くても自家用車をもっているものも、かなりいる。(中略)詩集の印税は五割で、出版部数が多いから裕福なのも当然(中略)エフトシェンコ(T・N註=ソ連詩壇の新進で二万部発行の詩集リンゴの著者)は“ぼくらの世代の革命は、現実の不正や虚偽と大胆に闘うことだ”といったが、この詩壇の新世代の活躍は期されてよかろう」とは、八・九月ソ連訪問の早大文学部副手草鹿外吉氏の文(読売夕刊一〇・一八)である。寔に羨望だけで済まされない。詩人を冷遇している国に高度の文化の発展がない。欧米の詩壇や詩の紹介は多いが、ソ連のそれが少ないのは一種の鎖国だ。詩は古今東西を貫く。詩は生死を超える。詩は地球から宇宙へと羽摶く。日本は大いに学ぶべきだ。
☆“純粋詩、芸術童謡、流行と幅広い“うた”の世界を歩き俗謡と流行歌に詩の精神を注ぎ込んだ”(朝日新聞“人”欄の文)西条八十氏は今やっと芸術院会員になった。氏にしてみれば“今さらオカシクテ”という所だろう。大した詩人でもない後輩の尻に――とわれわれも思うが、日本の上層部(ジャーナリストを含めて)はそれほど真の詩を知らないのだ。何はともかく祝福を捧げたい。氏はしかも唯一の愛嬢三井ふたばこさんと二人で詩学雑誌「ポエトロア」を再刊したいと闘志旺盛のようで益々喜ばしい。われわれは芸術院なんて糞喰えの方だが、日本の一般愚民は官製品を有難がるから、ただ西条さんの御健在を祝い“者共、続け”と陣頭指揮をされるよう祈りたい。(T・N)

掲載誌:『詩と民謡』1962年1月号 20巻1号