随筆

「詩界随想 永遠性にかえろう」

☆宇宙船が飛んだ。地球は小さくなった。だのに派閥、争いは冷熱を交えて人間を非情にする。非情は天、有情は地としても、生命の根元は天にある。詩が天なら、散文は地だ。詩、散文を分けているのは便法だ。文学(一切の芸術)は根元を一にする。原始(原子)に返ること、原始を究めることが、今後の人間の業で課題だが、皆は枝葉の幻惑に真の眼を失っている。生きる人よ、死を想え。死は終でなく始だ。それに徹するとき真の詩が羽ばたく。西条八十氏は「今の若い詩人は自分で訳が判らずに書いているようだ」といわれたという(藤田健次氏の言)が、味うべきだ。合理―科学は必要だが、それに幻惑されてはならぬ。それは溺れだ。知情意を超えるところに真の詩がある。宗教も科学も芸術も奧は一だ。その規を超え、有限に無限を感得するところに人間の使命がある。詩を想うもの規に即しながら規を超えよ。前人未踏の新世界観の眼を開け。名も富も一切空へ消える。次代を負う者よ、先達を超えよ。樗牛の「須く現代を超えざるべからず」でないか。
☆リバイバル・ソングーつまるところは、行き詰まりの繰り返しだよ。ちょっと、お化粧をしなおしてねー。そういい捨ててしまうには、あまりにも高まりすぎたはやりぶりである(東京タイムズ連載「リバイバルあの日あの頃」のリフレイン・リード)ーが単に皮肉と片づけられない。歴史は繰り返すのでなく螺旋形に進むが、リバイバルだけでは処置なしだ。詩人・音楽家(歌手を含めて)が不勉強でドライで刹那的で官能に溺れ、永却の生命を想わぬからだ。資本主義社会の故にするな。卑怯で卑屈になるな。百年後に知己を求めよ。ムードは世界的なものであるにせよ、それを衝きぬけるところに開拓精神が輝くのだ詩道の人よ、新精神生誕の陣痛に苦悶の涙を流せ。(T・N)

掲載誌:『詩と民謡』1961年4月号 19巻4号