☆本誌も生れて三十年になる。その間物故した同人は二十人にも及ぶが、他の多くは不惑、知命、さては耳順をこえて詩心なお旺んだ。前田鉄之助氏の「詩洋」も連綿三十五年になるという。偉とすべく、その一路に頭がさがる。岡村二一、中村漁波林、村松正俊、松村又一の古豪四氏も月刊「詩人連邦」に毎号力作を発表して五年になる。関西では“樹”の吉沢独陽氏あり、皆、社会人としても成功者だが「詩の鬼」ぶりは学ぶべきだ。民謡畑では羽田松雄氏が激務の隙をみて一人で集稿、編集、ガリ版切り、印刷、製本、発送等を続け民謡誌「時雨」を殆ど毎月出して六十号をこえ、自らも自品と論評を毎号執筆している。これら詩業数十年の詩徒達には、もはや趣味や余技でなく、脱皮であり、呼吸だ。功を讃え、労を多としよう。
☆四十歳、五十歳をこえてなお三文にもならぬ詩に執念するのは苦行僧に似ている。詩に生きること難しだが、その難につき、利害得失をこえるところに光がある。詩に生きることは真実に生きることだ。詩業数十年の人人の存在は尊い。名や金の物差でみる人々とは生き方(考え方)世界が異るのだ。
☆新聞、雑誌で詩を散見するが、感心したことがない。読者から「これが詩か」と思われるか、と考えると冷汗が出る。読者への迎合、妥協をやめ本気で本モノを書け。いい詩は安易からは羽ばたかないのだ。(T・N)
掲載誌:『詩と民謡』1960年9月号 18巻9号