随筆

「詩界随想 詩人と詩情」

☆「詩人は散文と詩の間の境界線を引き直すべきだ」「スプートニクと粒子物理学は無限小の詩人、即ちサイコロの一投げの詩人や破裂の詩人と歩調を合わせて進んでいる」「詩や生を信ずる事の難しさが詩を育て」「古典主義とバロック、幾何学と班らな汚点、この永遠の両極端の間で詩人の天才は動き廻る事を余儀なくされている」―と伊国文化使節団長シニスガルリい氏は37・4・13読売に書いていた。温室・小島・派閥・井蛙を出ず、宇宙的現野に立ち得ない日本文学界、殊に詩壇(句歌謡一切)への頂門の一針でないか。
☆雑誌「文芸」が現代詩特集号を出した。そのなかに山本周五郎がアンケートを寄せている。詩作品を必要とするかの問いに「詩はつねに文学の基本だと信じます」と答え(中略)大衆文学は民衆の哀歓にふれる詩情を失ってはならない=とは尾崎秀樹氏の文(37・5・20北日本新聞)だ。詩を失ったら死だ。芸術も宗教も枯小葉となり消えてしもうのだ。
☆鳥道絶人迹、庭際何所有、白雲抱幽石、往茲風幾年。また心似孤雲無依所。これは寒山拾得の一僧・寒山の詩の片々だが、オブジェとかアド等しか知らぬ若い詩作家(詩人に非ず)は世界各国の古代詩から勉強すべきだ。小手先の指細工で詩人面しているのは笑止千万だ。「詩情は詩魂にいたる。詩魂は天地を貫く。天地は悠々である」と75才の翁久允氏(元週刊朝日編集長、郷土研究月刊誌「高志人」主宰)は37・10・18付で北日本新聞に書いている。一石一木一草に宇宙があること核物理学が証拠だてている。それを貫き見破ることができるのは澄み徹った詩眼以外にない。
(T・N)

掲載誌:『詩と民謡』1962年12月号 20巻7号