☆「詩を作るより田を作れ」は古今同じだ。これは日本だ。散文の方は「箸は二本、筆は一本」と斉藤緑雨を嘆かせた時代と逆転、字も知らぬ作家(或る評論家の言)も花形の時代。我々は「作る田」も持たぬから一文にもならぬ詩を書いているが「心の田」は豊かだ。昭和初頭「詩神」編集の硬骨漢宮崎康政氏は「四十をこえて猶詩をかくものこそ詩人」というた。至言だ。利害を超え、やむにやまれぬ魂の叫びを吐く、それが尊い。
☆それにつけてもソ連は羨しい。訪ソの米詩壇大御所ロバート・フロスト(87)とソ連の人気絶頂の青年詩人エフトシエンコ(29)の二人の八・二九モスクワ喫茶店での酒飲話でも示唆に富む。同席のソ連三詩人の一人「エ氏がすばらしい詩人になったのは悪事を攻撃したからだ」フ氏「マルクスはよい詩人ではなかったね」エ氏「共産党宣言は驚くべき詩ですよ」フ氏「宣言は代作ではないね」エ氏「ソ連には詩作で暮らしているものが千五百人もいる」フ氏「詩人をかくも優遇するソ連政府のために」一同乾杯―以上は朝日37・9・3夕刊所載だ。科学も芸術も奧は一つをソ連は示している米国は別として日本は如何。誰だ、ソ連にいきたいというのは。ハイ筆者。
☆明日のために現代にたいして自覚的であるべき「詩人」―文芸評論家瀬沼茂樹氏の言(37・9・1読売夕刊)だ。さてそんな詩人は何人いるか。クイズにしよう。(T・N)
掲載誌:『詩と民謡』1962年11月号 20巻11号