随筆

「近藤八束君のこと」

 近藤吐愁君は未見の詩友だがもう三昔以上になる。新湊市役所に勤め病的、だがどうして詩神若く“砂山の唄”で鳴らした。八束君とは別の人と思っていたが、吐愁君の御曹司と知ってびっくり。二人ともまだ会っていないが、想像するに吐愁君は短躯型、八束君は秀才型だろう。
 吐愁親爺は中々何でもござれの万年少年だが、八束は少し親爺を凌ぐ早熟型だ手法も世界観も親爺よりいい。この点、樋口義重・義孝親子とアベコベのようだ。吐愁君、怒るな。それはともかく、八束君、忙しいようだが、親爺より勉強不足。才能充分だが、もっと苦しまねば駄目である。つまり、魂の叫びが薄いということだ。年の若さへ逃避はゆるされない。才智の上に剛腹を加えると鬼に金棒である。
 そのうち一度、近藤父子を並べて歓談したいもんである。昔、新潟をすどおりして佐渡へ行った。多分、八束君はヨダレをたらしていた頃だろう。吐愁君を訪ねようと思ったが時間がなくて断念、それが今も心残りだ。
 八束君の作品は御存じの通りで如才がないし、時代に乗っているが、土性骨は親爺譲りとまではゆかぬ。もっと泣くことだ。男泣きに泣いて涙が?れはてた時、真の近藤八束が羽ばたくのである。好漢自愛せよ!

掲載誌:『北日本文苑 詩と民謡』1963年5月号 21巻5号