随筆

「詩界随想 詩徒の哀歓それもまたよし」

★「今日では確かな現実、歴史的現実を誰ももはや信じない。人が信ずるのはそうなるかもしれない詩的現実である。詩を養うものは真実でなく懐疑である。詩や生を信ずることのむずかしさが詩を育てている。この幻影が逃げてゆけばゆくだけ、幻影は詩人たちの根本にひそむ不幸をまざまざと見せつける(中略)ただ詩と絵画だけが、涙のほかは何も約束しないのに、奇特な若者を呼びよせることができるのだ」は伊太利詩人レオナルド・シニスガルリの言だ。ちと異論はあるが、懐疑が詩と非詩の境界にあることは至言だ。今の日本の詩人たちはイージイの平坦な道に馴れすぎている。大いに疑い悩むべきだ。そこから新しい詩が人類の光となって顕われる。
★世の中に身銭をきって同人雑誌を出して自作を発表している愚者は多い。小説、戯曲の同人雑誌なら脚光を浴びることもあるが、俳句、短歌川柳、詩等の同人誌は自慰にすぎん―と世の失笑を買う。だが、真の詩作は金儲けにはならぬからいいので、やむにやまれぬ奔りが貴い。キリスト、釈尊等々は金儲けに苦しんだのではない。良寛も反古が金になると夢にも思っていなかった。現世を超えたところに良心を置く喜びは金品に替え難い。この故に一文にもならぬ詩を吐き出して自他の救いにしているのだ。ただそれだけだ。それでいいではないか。毀誉褒貶は別世界の話。善い哉、詩徒よ、詩神の下僕よ。(T・N)

掲載誌:『北日本文苑 詩と民謡』1963年5月号 21巻5号