随筆

「一九三四年民謠詩壇總決算メモ」

 一九三四年民謠詩壇總決算と云つても、田舎に引込んでゐる井蛙の事だ。見當違ひ、認識不足は免れぬ。だから、かうした責任ある文は二三の雜誌の依頼を謝絶して來たが、藤田編輯長には勝てぬ。依つて私の手許に現在ある資料のみからメモ代りに私見を述べさせていただく。
 流行歌からとりあげる。サクラ音頭競演に明けて音頭時代、更に甚句時代とエラク三味線太鼓に古風なものがノシたものである。鹿兒島小原良節やら赤城子守唄やら、兎に角懐古情調全盛だつた。この流行歌やレコードもので依然活躍したのは西條八十、佐藤惣之助、佐藤八郎、大木惇夫、松村又一、久保田宵二、島田芳文、高橋掬太郎、西岡水朗、時雨音羽、佐伯孝夫、塚本篤夫、鹿山映二郎、山田せんし、木下潤、佐々木綠亭、若杉雄三郎、等の諸氏で前年と殆ど變らない。その代り、新進諸氏がめきめき擡頭し賣出して來たことである。しかし歌詞は千變一律、藝術としてさう尊敬出來る作品は少かつた。
 評論は極めて振はなかつた。春早々、櫻音頭のレコード歌詞で白鳥省吾氏と佐伯孝夫氏が朝日と國民で文句を戦はしてゐたが、決してホメた圖ではなかつた。その他蓋し感服出來た民謠評論がどこにあつたか、僅かに藤澤衛彦、高野辰之、小寺融吉氏の元老級が研究を續けた外は、藤田健次、高橋掬太郎、月原橙一郎、長田恒雄、廣瀬充、前田勇、藤本浩一、鈴木章弘、山口義孝、伊藤小虎、等の諸氏が研究や感想を時折發表した位にすぎぬ。
 その代り、文句を云ふより作品といふ具合に民謠集、歌謠集は續出した。寄贈を受けたものを擧げても、京の祭(山内隆)、憎い亭主(廣瀬充)、三角洲(都築益世、長田恒雄、月原橙一郎)、紺暖簾(小春久一郎)、かりねの花(東なみぢ)、過去帳、浮世の風(花巻虚空)、萬年床(佐藤末治)、都鳥(萩原路情)、遠い虹(林野貞夫)、劉龍(前田豊秋)、初鮭(高橋實)、民謠集、泣かせ舟(澤渡忠夫)、峠の唄(早川嘉一)、こほろぎ(白木楓葉)、異曲歌謠集(佐藤惣之助)、星明り(古川雄章)、花の咲くまで(川部眩)、海未通女(徳照滿壽夫)、夕焼雲(深山影二)、椿の花陰(櫻井佐賀惠)、たんぱもじりの唄(杜耿二)、石ころ(豊島耕一)、火取虫(石山巳之吉)、貌(石田隆)、百舌鳥が啼くよ(堀本松愛子)、民謠原野選集(白木楓葉)、雲と悲しみ(北島愁)、初島田(横堀恒子)、さては詞華集としては、神奈川縣詩人集、時計臺詩集、現代日本詩集、瀬戸内海詩人選集、朱人詩抄、民衆詩謠街選集、埼玉縣詩人選集、全和歌山新興詩華集、中國詩人選集、海圖年刊詩集等が夫々民謠なり歌謠を入れ、この外に塚本篤夫氏の「天國への道」等があつた。前年の十三四冊に比べると何と四十冊を突破する今年の壯觀である。以上のうち塚本氏の分はみてゐないから何も云へぬが、三角洲、京の祭、憎い亭主等は本年の白眉であり殊に「京の祭」は第一である。異色あるものとしては、峠の唄、萬年床、たんぱもじりの唄、火取虫、貌等を推すべく、印象に殘るものとしては、かりねの花、紺暖簾、都鳥、遠い虹、泣かせ船、こほろぎ、初島田、百舌鳥が啼くよ、石ころ等がある。
(以上の外に僕は民謠集「虹」を四月早々出した。)
 次に雜誌では凾館、熊本、新潟、岡山等は前年程振はず岐阜、大阪、東京のみが活躍した。吉川則比古氏等「日本詩壇」吉野信夫氏の「詩人時代」西川林之助氏の「日本文學」何れも歌謠を比較的虐待した感あり、終始純歌謠雜誌として毎月活躍したものは、藤田健次氏の「歌謠詩人」を第一に新しく生れた山口義孝氏の「民謠雜誌」是に次ぎ、准歌謠誌として鈴木章弘氏の「誌と歌謠と」が目立つた。斯くて松永みやを氏の「歌謠新聞」生れ(最近みず)古くからの「民謠原野」「詩と民謠」等の外は?息し、代つて新に歌謠地帶、歌謠の家、新日本歌謠、詩謠術(新日本民謠に非ず)、高知民謠、掌、歌謠文學、唐人船、誘蛾塔、豊後風景、筑紫民謠、詩風鈴、ながれ星、歌謠の泉、素描、大和民謠詩人、長唄藝術、新民謠、詩謠劇、新進歌謠、影、櫓詩潮、昭和詩人等が創刊された。此の他前年に續いて出たものに、歌謠祭、民衆詩謠街、詩府、踏靑、新潟民謠、途上、民謠耕地、新興歌謠、詩謠集團、風速、民謠作品等がある位である。(大關五郎氏の新日本民謠や白鳥省吾氏の地上樂園など一体あるのかないのか見ないから何も云へない)概して如上の詩雜誌中多くは何かもの欲しげな態度でレコードものの尻を追ひ廻してゐるかに見えたのは苦笑の限りであつた。
 作家として活躍した人々を擧げると私の知る範圍内では流行歌やレコードもの歌詞で活躍してゐた人以外に福田夕咲、福田正夫、藤田健次、藤原みゆき、深田市子、藤本浩一、山内隆、恩田幸夫、臼井元嗣、生井英介、君島茂、長田恒雄、杉山刺生、鹿山鶯邨、石田隆、古川哲夫、白木楓葉、岩間純、布瀬富夫、早川嘉一、廣瀬氏治、山本淳歌、山岸幸司、田中富雄、鈴木章弘、犬養智、佐藤末治、菊地信、山口義孝、小森盛、福島貞夫、貴名洋光、和田安通、關澤潤一朗、横尾三男、田村白雨、泉漾太郎、林正雄、東條巧、伊藤小虎、伊藤靜馬、水谷ひかる、山田せんし、市村鏡一、林野貞夫、綱島嘉之助、最上洋、千々岩秋月、佐藤誠一、渡邊去夢、渡邊香雪、廣瀬充、花巻虚空、古谷玲兒、井崎進、江崎香風、近藤吐愁、松本明道、大野加牛、今井十九二、萩原路情、横堀恒子、加藤章、上政治、東なみぢ、松根有二、川部眩、澤渡忠夫、小春久一郎、西口茂助、杜耿二、豊島耕一、前田豊秋、高橋實、深山影二、松本達次郎、安藤紋太郎、島久志、穂積久、興田準一、北村邦夫、安川信次、岡田千秋、南紀美夫、國井重二、村山清益、越川廣、青柳花明、北島愁、堀本松愛子、古川雄章、原比呂志、新島喬、加藤喜悦、矢島寵兒、松丸完、平野威馬雄、英玲二、春野民夫、井上惠夫、原善麿、秋月勇、兼田俊夫、若杉雄三郎、壇上明宏、川上秋良、首藤敏朗、木阪俊平、相田健治、小乙女雄、小沼宏、横山正春、松本帆平、伊藤隆造、米山玉穗、等大家中堅新鋭無數に上る。
 遺憾であつたことは横瀬夜雨、竹久夢二の兩氏を喪つたことであり、意を強うせしめたのは福田夕咲氏の元氣な活躍であり、嬉しく思つたのは前田林外氏の健在をしめす「お夏清十郎の唄」(歌謠詩人所載)をみたことであつた。淋しいと思つたのは玉置光三、林柳波、大村主計、平木二六、山岸曙光、並木秋人、渡邊波光諸氏の活躍鈍くなつたことと、凾館の額賀誠志、片平齋人諸氏、熊本の藤淵志一氏等の休息であつた。
 催しとしては日本歌謠協會指導東京市主催の民謠祭が日比谷で開かれたり、歌謡詩人の會の歌まつりがあつたり、あちこち藝術祭や民謠祭が盛に行はれたことで、今や世をあげて歌謠時代の觀を呈した。しかしこれはと思ふやうなこともなく、ただ三味線とジヤズに終始したかにみえた。尤も民謠作品が漸次着き出し光るものの見えて來たことは見逃せぬ。最後に民謠に縁の深かつた作曲家君島紀麿氏が病臥一年、悶々のうちに憤死したことは、私らの民謠詩運動に理解と支持をもつてくれてゐた作曲界唯一の人だつただけに忘れることの出來ない恨み多い年だつたことを附記して置かねばならぬ。
 以上、井戸の中の蛙大海を知らずで、富山の隅ッこにゐての走り書き、名前を並べるだけで指定枚數に達するので藤田編輯長に叱られぬやう責を果したことにして、筆を措く。
(十一月十五日)
 

掲載誌:『歌謡詩人』3巻12号