1
うつろだと鳴らないし、いつぱいだとまた鳴らぬ。箱のかなしさである。なにか中にある、あるぞあるぞと鳴り出す。言葉もそんなもの。
2
賞めあうてゐると、罵りたい氣持が頭をもたげる。罵つてゐると、ほめてやりたくなつてくる。合評會に於ける妙な心理。
3
先夜、南京放送局が日本語の怪放送をきかせてくれた。支那人の放送だといふことは、アリマスのアクセントですぐ分つたが、それにしても實に流暢である。敎導隊長黄瀛君だがどうしてゐるだらうとすぐ思つた。どうも日本語が音楽的に出來てゐないと泌々感じた。
4
雪がふりだすと、竹が弓になつて田舎の細みちを通せん棒してしまふ。日があたると。はらはらと粉雪がこぼれおちて竹が腰をのばしはじめる。その下をあわててくぐるコドモらの茣蓙トンビは靑い。そんな日はきまつて口笛がながれだすが、空が鉛色だとみんな唇を閉ぢて歌はない風景となる。
5
小さいときよく雪が凍つて、田も畑も山も下駄、足駄で自由に駆けづり廻れた(雪がシミタといふ)靑い蔭のあるところへくるとガブリとくるぶしのへんまで足がめいり込む。でそんな淡靑いかげのところを避けて朝の光の中を走るのだがお伽噺のやうな氣がして嬉しかつたものである。今はもう絶えてそんな日が十年に一度もない。だから街の生活はさびしい。
6
劒岳はさびしからう、切なからう、今は白銀に塗られて雲の上。孤獨の大きい奴はさびしいけれど、崇高なものを光らせてゐるものである。劒岳や立山など、神の階段として、祠を祀つてあるのは、ほんとうだと、登山して思つた。晴れた日、街角で、ふと仰ぐ彼の山嶺の燦きに、しやんとひきしまるものを覺える。
7
今まで置き炬燵といふ浮き腰だつたが、今年から敷き炬燵にした。足を伸ばして讀んだり書いたりするのはとても氣楽でいい。朝晩炬燵で御飯戴くのも、悪い癖だが、いい。東京などこれが出來ないから嫌になる。
8
先日、佛敎信者とゆつくり語りあつたが、釋迦といふえらさが泌々分る氣がした。一木一草にも佛性を見るといふ多神敎的なところが詩の味と一脈通ふものがあつて氣にいつた。永井柳太郎さんぢやないが「地に咲く一輪の花」にも存在意義がある。さう思ふと、此の世に生きてゐることが嬉しくなる。
9
名曲を聞いてゐると、詩や民謠を書いてゐるつまらなさが身を包んでしまふ。言葉なき世界の美ほど大きいものはない。
10
拾圓の債権一枚買はされた。こいつで三千圓當つたら……と思ふと嬉しくなる。せめて拾萬圓當つたら、先づ諸君何に使ひますか。一日に百圓つかつて三年程かゝるし……。
11
もう一度、しみじみ、戀をしたいと思ふ(笑ひなさるな)――毎日、同じことを繰り返す味氣なさの上にどんなに光り輝くことだらう。と思ふだけで年を一つよけい貰つてゆくのである。で、活字を藉りて戀の戯れ唄を書くのである。多くの諸君もさうらしい。
12
けふ、日曜夕刊を出すんだとて、タマの日曜を引つぱり出された。田舎のこととて記事がさうないし、社會面一つの仕上げに汗をかかされた。人間、コンマのない生活ほど情ないものはない。この調子ではピリオドになる者も出て來ようといふもの。大体讀者は慾ばりすぎる。
13
樹は可愛い。風がなければ身じろぎもせぬし、日があたるとうつとりするし、雪にはおとなしくする……同じ樹でも山にゐるとさうはゆかぬらしい、さびしいからだらうといふ話であるが、さうかもしれぬ。
14
タランタランと譯の分らぬ歌を無意味にうたつてゐるとき程朗らかなものはない。歌はぬ鳥は木の葉にすぎぬ
掲載誌:『歌謡詩人』3巻1号