(二)
今夜上野駅をたって八月一日帰京の予定でちょっと帰富(兄嫁の三回忌法要)し、八月十二、三日ごろ帰富し二十一、二日ごろ帰京の段取りにしています。それで十八日の二士会にも出席します。今、ふと他に書かねばならぬ原稿があって魚高同窓会々員名簿を引張り出して見たところ、昨年の一枝十花にうろ覚えに書いた物故級友の名の誤りや脱漏のあることに気付きました。なるほどと思い、一々の名前をみて又想い出が多く感無量です。
大正十五年か、西田健坊が東北の山で遭難した時、北陸タイムスに追悼文を書き、当時魚津町長だった西田君の父君を自宅に訪ねて弔問したことがあります。また戦後、富山のある会合で講演して酒宴になった時、北山君の息子さんに遇いびっくりしたものでした。佐野君の未亡人も富山の警察署の寮母をしていた時会ったきりです。入井君は五年卒業の前に富中へ転校したのでしたが、台湾沖で米潜水艦にやられて戦歿。みんな惜しいことをしました。お大事に。(七月二七日)
掲載誌:『魚中二士会 一枝十花』21号