2・3月号の誤植・脱漏の多いのに驚いた。病気を押して校正してくれた島田藤雄君の労苦を深謝するが、北日本印刷もサシカエをよくして呉れなかったのだろうと思う。尤も私の字も乱雑なので無理もないとも思うが、これでも気をつけている積りだし、もっと乱れ書きをしていてもあちこちの新聞雑誌では殆ど誤植や脱漏なく私の字を判読してキチンと掲載していてくれている。この調子では同人各位の作品など、相当お困りになったのだろうと推察している。この訂正文にまた訂正文を書かせないように願いたいものである。2・3月号の私に関する分のうち主なものだけ(一々書くと大変になるから)訂正させていただく。
①巻頭言=15行目『制度』は『制定』②わが生・わが死=『責努』は『責務』『悪意』は『悪党』、『一先』は『一生』③早川嘉一君滞京記(上)=25頁写真説明中(左頬隠小左人)は(左頬隠れた人)◇25頁3段目『百号記念』に『会』脱漏◇25頁同段『慰労会と』に次行の『社内だけの』が続く◇同『及骨』は『反骨』◇25頁下段『人の事ながら』は『人の事なら』◇26頁写真説明の『中河兵一』は『中河興一』◇27頁上段『遠藤春汁』は『遠藤春汀』◇27頁2段『34日』は『30日』◇27頁3段『劇努』は『劇務』◇同『聖人みたいなんだ』は『聖人みたいな人だ』◇28頁上段『古谷両君交互』は『古谷高橋両君交互』◇同『最門者の音頭』は『最年長者沢ゆきさんの音頭』◇同『久滋』は『久慈』◇同『教江』は『数江』◇28頁2段電文の『嫌しく』は『嬉しく』◇同『飯田』は『飯島』◇同『本田』は『本多』◇同『士村志郎』は『志村士郎』◇同『久慈正夫』脱漏◇28頁3段『紀行文考』は『紀行文学』◇同段『三月三十八日』は『三月二十八日』の誤り。(なおこれは誤植脱漏でないが、岩間純氏は逗子の新歌謡派の会にも欠席だったことをあとで知ったので訂正)
掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第23巻 六月号 復刊55号 通巻155号 1965
北日本文苑詩と民謡社