随筆

「巻頭寸言 プライバシーと歌謡曲など」

★有田元外相と前夫人とをモデルにして小説にした三島由紀夫氏と出版社にプライバシー侵害の判決が下り、世評を賑わせた。これで問題の本がよけい売れて三島氏と出版社が儲かり、有田元外相の心の傷が大きくなるばかりだろう―などという者もあるが、それよりも『芸術のためなら何をしてもいい』といったような考え方があるとすれば許せない。これは『儲けんかな』主義の週刊誌群はいうに及ばず『言論自由』の鬼面に陰れまた『報道のため』の名の下に、まだ『斬りすて御免』の『新聞暴力』の影を残している報道機関にもあてはまる。『書かれる者の身になって書け』は筆者の持論だが、現代の怪物『暴君マスコミ』は自粛して何よりもモラルを背骨にしなければ『泣き寝入り』族のため『法』がこの怪物・暴君の首をしめざると得なくなろう。プライバシー(私事権)の問題は今さら筆に採りあげるまでもなく、常識問題だ。自由をはき違えると自由がなくなるぞ。人を傷つけて平気でいるような連中によって生まれた『芸術』なんて呪われてあれ。真の芸術はそんなものでないのだ。ノボセあがるな。
★日本音楽著作権協会の会長・監事選挙騒動はどうやら解決へ向ったらしいが、一会員の筆者へも主流・反主流両派から速達便など連日殺到し、事情を知らぬだけに面くらった。告訴合戦から新聞紙上を賑わせたが、考え方では一般社会人に『日本音楽著作協会』などの存在を知らせ『音楽著作権』なるものを認識させるのに役立ったともいえるし『雨ふって地固まる』ことになり、同会の生々発展のいい肥料になったともいえよう。純情多感で、感情に生きている―→詩人・音楽家の集りだから双方相当感情的に走った感があるのも無理からぬが、幸い第三者が仲介に立ったから感情を抑えて大同団結するように願いたい。双方に知人が多いので心を痛めている者はツンボザシキにいる筆者だけではない。
★朝日新聞39・9・29付夕刊の「補助席」氏は『近ごろの歌謡曲はたとえヒットしても寿命が短く、忘れられる歌が多い』とし、こんなことはいまに始ったことではない。理由はいろいろ考えられようが、一つには会社(筆者註・レコード会社)がスターとファンによりかかりすぎていることだ。と述べ『流行歌の作詞・作曲家のほとんどが各レコード会社の専属で、歌謡曲にフレッシュな感覚がとぼしいということも見のがせない。いい歌が生れても、その著作権は作家の所属するレコード会社がもち、ほかのレコード会社ではレコードにできない。あたりまえのようだが、この一社独占が、いろいろな意味でわざわいしている。もっと自由な歌くらべがあったほうが、歌謡曲界に新風を送れるような気がする。それがファンのためでもあると思うが、どうだろう』と結んでいた。レコードは商品だから困難な話だが「補助席」氏のいうことも理想論だと片ずけないで、一部分でも考えてみてよかろう。作詞家・作曲家の生活権を脅かさず(反対に収入がふえるだろう)むしろ詩人・音楽家を大事にするようにして……。それよりも新人のいい作品を安い原稿料で片ずけないで、どしどし発掘し、育てあげた方がいいだろう。若い人に影響力の大きいレコード文化の質的向上を経営者はもっと真剣に考えるべきだ。儲かればそれでいい式の商業主義に惰していてはならない。文化の先駆者の自覚と自負に燃えて、大きな視野に立つ気慨をもってほしいものだ。といっても、馬耳東風だろうが、敢て一言。(10・22中山輝)

掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第22巻 十二月号 復刊50号 通巻150号 1964
北日本文苑詩と民謡社