随筆

「詩界随想 “ジャンコクトー”と“日本”と“真の詩人”」

★“20個の頭をもつ男”ジャン・コクトーは10月11日劇的の臨終で74年の一生を閉ぢた。まさに“詩、小説、批評、劇作、絵画、映画、バレエ、製図、と行くとして可ならざるはなき天才だった(中略)真骨頂は詩業と詩人たることにある。あらゆる芸術の基盤が「詩」にあることを、身をもって証明したものだろう。コクトーの死ぬ同じ日の朝、シャンソン歌手として日本にもおなじみのエディット・ピアフが死んだ。コクトーは、ピアフについて新聞記者に感想を求められて「なんだか息がつまるようだ」と語ったという”(38・10・12読売夕刊“よみうり寸評”)“74歳でもこの詩人のすがたは永遠に17歳で詩集「アラジンのランプ」を出した時と同じような若々しさを保っていた(中略)このなんでもやる詩人は、すべてを詩だという。小説詩、劇詩、映画詩、批評詩、図表詩、詩、詩…。この芸術の軽業師の手にかかると、触れるものはみな新しい詩的生命を吹き入れられて超現実的なおどりをおどり出す。レコードもかれにとってはやはり詩である。”(38・10・13読売“編集手帳”)だ。さて、日本には二つや三つや五つ六つの頭をもつ芸術家はいてもコクトーに及ぶものは今のところいないが、問題は詩(死)に出発して詩(死)に終るか否か、つまり孤・個に徹するか否かだ。惜しむらくは、コクトーは真の詩人でなかった。真の詩人とは、予言者、科学者、宗教家、革命家等々であるべきだ。コクトーは単に芸術の世界の王子だったにすぎない。コクトーはいつ科学、宗教の先駆を示し、いつ“地球は一つ”のために革新・革命を示したか。要するに天才にすぎないのだ。日本のマスコミは仏国のマスコミが「二人の芸術家の死にパリは泣く」と謳ったのに追随し、舶来思想、事大主義を示しているだけだ。尤も、哀悼の意は判るし、同胞への諷刺は判るが……。
★やはり、コクトーとシャンソン歌手エディット・ピアフの同じ昇天に関連するが、さすが芸術の都パリだ。“パリ・プレス(夕刊)は「コクトーはピアフの死去の報に接したエモシオン(心の乱れ)のため死んだ」という大見出しで二人の写真を一面に並べ、二人に6ページもさいている”(38・10・12付毎日夕刊社会面)そうだ。日本のマスコミ界の及びがたいところだ。日本人という奴はヒットラーがマインカンプで“日本民族は猿真似の模倣人種で独創人種でない。アーリアン人種に奉仕すべき賤民だ”といったように度し難いようだ。自らを救い他を救うもの、万人の心を心とし、“地球は一つ”を実現すべく生命を堵するもの、不惜身命の基釈等の詩人らしからぬ真の詩人以外にない。それは早大校歌に託して相馬御風が歌った「東西古今の文化の潮、一つに渦巻く大島国」(今は小島国だが、精神だけは大でありたい)の祖国日本の“真の詩人”以外にない。
★この点からみても“派閥解消”は小島国日本の命題だ。単に、政・財・学・官・理等々の“派閥解消”からはじまる。現実は大地だから大事だ。だが、それにこだわって理想(天)を見失わないことがなお大事なンだ。人は死後、その価値を発揮すること古今東西同じである。末世の日本は現実(利害得失)に即しすぎ、理想(人類の夢)を見失って群盲撫象だ。真の詩人(若い人に望むほかない)大いに出現し、筆者ら老頭の屍をこえて、地の塩、一粒の麦となれよ。真の詩人(“死”に徹した)こそ世の救い主であることを知れ。黄金に惑うな。有限より無限だ。“生命短く、芸術は長し”だが芸術以上のものがあることを心身をもって示す者こそ、筆者の意を知る“真”の詩人だ!(T・N)

掲載誌:『詩と民謡 北日本文苑』第21巻 十二月号 復刊40号 通巻140号 1963 北日本文苑詩と民謡社