詩は文字通り「言葉の寺」で、「言葉に現わされた宗教精神」といえる。詩は「志」ともいわれる所以である。聖書も「太初に言葉ありき」と冒頭しているように、古来洋の東西を問わず言葉に神性を見、詩は人の声を藉りた神の声としてきた。だが『言霊の幸ふ国』として言葉の生命を尊重してきた日本も、末世になって「言葉の乱れ」が甚だしく「乱世」の兆を示している。詩芸術が言葉の魔術、呪術といわれるが、こうも言葉が魔性を帯び出しては『言葉の乱れも新時代への暗闇・混沌の兆だ』などと悟り澄ましてもおられない。言葉を生命とする詩人は「象牙の塔から飛びおりて大いに巷へ出て先駆者になる要がある。その意味で民謡・歌謡・童謡等を書く人々の奮起に、大いに期待する。
ところで、民謡・歌謡と書いた序にいうが、これは区別すること自体がおかしい。皆が区別しているようだから区別して書いているまでで、本来同じものだ。「分化」が「文化」だという詭弁みたいなものだ。民謡の呼称は明治中葉になってそれまで俚謡・歌謡と称せられていたものに対して高野辰之博士が命名したというが、昭和初頭、歌謡などという呼称は流行していなかった。民謡だけだった。昭和六年頃、拙作「山の唄」(藤田健次氏の「民謡詩人」に書いた「創作民謡」のつもりのもの)を某レコード会社が北原白秋氏の「平右衛門」と表裏に組み合わせて古関祐而氏曲、藤田一郎氏唄で吹込み発売してくれたが、何と二篇とも「流行歌」と銘打ってあったのに愕いた。今なら「歌謡」とでもするところだろうがこの折角の「流行歌」も流行せずじまいだった。その後「流行歌」は「歌謡」に名を改めたので、民謡というと田植歌や馬子唄の類だとワクにはめ、歌謡というと流行歌だときめつけているようだ。田舎者の私にはよく判らぬが、所謂現代詩(抽象派・前衛派だけが現代詩だと思っている阿呆がいる)の連中は所謂抒情詩の連中を軽蔑し、その民謡詩人といわれる人々は所謂歌謡詩人を軽蔑し……という傾向にあるらしい。私は大正十二年から民謡なるものを書いて発表して来ているので昭和二年に創刊した「日本海詩人」、昭和五年一月に出したその後身「詩と民謡」のいずれにも民謡を発表して来たが、三十数年前、或る先輩詩人(故人)が、『中山君、民謡などというくだらんものを書くのはやめた方がいい。あんなものを書いていてはいい詩が書けん』と忠告された。そこで例によって毒舌を吐き、尊敬する先輩詩人に逆に『あんたこそ民謡を大いに勉強せにゃいかん。創作民謡を書くとあんたの詩はもっとよくなる』と説教したものだ。第一、民謡が書けない詩人なんて本モノでない。また民謡は書けるが詩は書けないなんていうのも本モノでない。脱線したが、民謡とか歌謡とかの名にこだわるのはよくない。ウタでいい。音楽の世界でなら区別の要もあろうが、詩芸術の世界では名や形にとらわれず天衣無縫、天来の声に則って好きなように歌いまくるがよい。歌ごえ喫茶店や歌ごえ酒場へいってみるがいい。若い連中は民謡とか歌謡の名なんかどうでもいい。ウタであれば何でもドシドシ消化して歌いまくっている。時代は駆け足で進んでいる。隠居じみて老化現象を発揮していると、時代が先へ行ってしまって過去の存在になってしもう。「歌われる」ウタ、或いは「歌わるべき」ウタでいい。本来の詩精神が一本入っていれば名や形はどうでもよく、大いに『新しいウタ』を書きまくるべしだ。
紙数をとっくにこえて申しわけない。それで途中で端折るが、批評のないところに発展がないから詩や謡への批評を盛んにする必要がある。そのためにお互にもっと勉強しよう。特に若い人の勉強不足がめだつから、先輩は後進を育成する責務を痛感してほしいものだ。〈39・12・30〉
掲載誌:『時雨』100号