海のことなら何でも知ってしまった上 海があんまり自由すぎるので嫌になり陸へ這いあがって来てあちこちを見て廻った
だが あれほど どんなに美しくていいところだろう と あこがれていた陸地も
あまりにも汚く醜く騒がしく不自由で争いごとが多いのでがっかりした
何でも知り尽くすということは実につまらないということがやっと判りかけて来た
なまじっか見えるからつい見たくなり 聞えるから嫌でも聞かねばならぬ
この石ころのように目も耳も鼻も口もない方がよっぽどましだ
もう自分の意思で動くことも嫌になった
そこで何も見えず聞えず あの驕慢な光をも寄せつけず 時間も動けずにいるままの暗黒にとけ込もうと
首を土の中へ突っ込んで何もかも忘れることにした
『これはいい』
魚はじっとしていた
そのうち さびしいから喋り続ける小鳥たちが尾やヒレにとまるので
小鳥たちのために尾やヒレをぴィんと天や山や海へ向けてのばすことにした
あまりにも小鳥たちが沢山つかまるので 愛への重さをこらへて真っ直ぐ逆さに立ち続けねばならぬことになってしまった
それはいいが
小鳥たちがいい気になってウンコを垂れるし
そのウンコに潜り込んで来た何かの種子が尾やヒレに潜り込んでしまい
花になり実になり 小鳥を招待し出した
『いやはや えらいことになった』と思ったが
こんなにも信ぜられ頼られているかと思うと『もうどうなってもいい』と思われ出し
『この小鳥たちのために出来るだけのことをして長生きをしなければならぬそのために自殺をしてはならぬし 一歩も動いてはならぬ』と瞬間瞬間に最善を尽すことにした
『はじめからこんなであったらよかったな…
あの愚直なまま生きることしか知らぬ鯨クンが陸地から海へ逃げ込んでしまった気持は判るけれども…な
今までおれはおれ以外のもののために生きて来なかった
今やっとおれ以外のもののために生きるということのよさが判りかけて来た
おれはおれ以外のもののするままにされ おれという小っぽけなものを無くして無心になり 目に見えぬ大きなものの一部になれるという喜びにひたっていることが出来る
誰にお礼を云うていいのやら…』
やっと木になることが出来た魚は
いつのまにか時間にとけ込んで 時間そのものになり
もはや何も考えず思わず 木になってしまったことも忘れて
無言でおられることのよさに あるがままになりきっている(41・8・2)
掲載誌:『日本詩』 第24巻・復刊66号 通巻166号 1966 8月号