「長編叙事詩 朝よ!お次は(1)」

一、桐の花
紫いろの桐の花が 咲いては 咲いては あちこちに おちていく、
青苔がしがみついている 藁屋根に 屋根石に また水車の上に。
急に 水車がとまり出した。
おみつは傾いた水車小屋から飛び出して
水堰めを見た。
五つの武が流れおち 木綿絣の袂が 芥よけの乱杭にひっかかり 水車の方へ流されそうになっている。
「武やッ」
おみつは 水しぶきをあげて虹を浴びている 一枚板の小橋に腹這いにって
武の襟首をつかんで引きずりあげた。
また水車は 目をさましたように 元気をとり戻しはじめた。
藁をうつ杵が 臼石を打ち出し 折角買うて来た新藁を粉々にして撒き散らしているのも知らぬげに。

母子はずぶぬれだが、武は ぐったり 気を失なつていた。
おみつは 桐の木の下で 武を ゆすぶり ゆすぶり
「武や 武や」
おろおろ おいおい 泣いていた。

鶏がヒヨコどもをつれて 藁小屋の横から出てきて
そこここに散らばっている桐の花を 蹴ちらしては 突っつき
ヒヨコどもは それを争って 黄色い嘴で突つついたり、赤い趾で踏んづけたり‥‥
深閑としたそこらに おみつの泣きごえだけが 次第に弱くなっていき
白い昼さがりの光は 谷底の村を明暗に二分していた。
「武や、おツ母だぞイ、判るかい」
「うん」
おみつはまた泣き出した。
ひしと 武を抱きしめて 二度と離すまいという風に。
二人のボロ着物は いつのまにか 半乾きになっていた。

桐の花は けだるげな白い光に 仄かな翳をおとし
どこがで 思い出したように 山鳩がないていた。

二、銀河
武は 松葉杖を両脇に挟んで歩いていた。
あの時 袂が乱杭に引いかからずに 下へ流されていたら 水車に挟まれて死んでいたろう。
「おツ母は“お父とうが守らしゃったんや”と云うてたっけ」

武は 右足を折っただけで助かったのを 有難いと 思わぬ日とてなかった。
「おいら 仕合わせや」
武はそう信じて来た。
「あん時死んでたら」
そう思うと こうして生きていることの喜びが、辛さや さびしさを消してくれた。
何ぶん 医志も接骨医もいない 谷底の村、
しかも十五六軒しかない寒村、まだ電燈もつかぬ村とて
殊に 村一番の貧乏ぐらしとて おみつもどうにも仕ようがなかった。
「武や かんいんしとくれ お前を チンパにしてしもて うち貧乏やで してやりとうてもなア」
「おツ母 いいんだよ、片足ぐらい何や」
「せめて お父とがござらしたら なア」
こうした愚痴話も もう三年前へ押し流されてしまい
武は 明るい小学二年生になっていた。

泣きぐせのついたおみつをいたわり慰めるのは 武だった。
「おツ母、オラ チンパでも男や、お父うの代りに うんと働くで、やがて楽さしたげるゾ」

「チンパやアい」
「貧乏もンやアい」
「乞食の子やアい」
「わアい、口惜しかったら ここまで来て見い」

武の友だちは わいわい囃したて みんないい着物きて草竹皮草履はいて お尻を叩いてみせ 赤ンベをしてみせている。
「何イ、金持が何だ、糞ッ」
武は 歯をくいしばり くいしばり、カタコト カタコト 水車の音のように
片足ついて 両杖ついて デコボコみちを追いかけ出した。
だが、お春の投げつけた小石が 武の額に当つた 武は仰向けに引っくり返ってしまつた。
「わアい、わアい」
お春も 五郎も 金次も駆足で村へと 逃げていった。
武は仰向いたまま動かなかった。
額から目へ血が流れるので 目をつぶったまま その目から涙が血を洗うように頬を流れていた。
もう 日はくれかけ 一番星が覗いていた。
武は 波うたせていた肩や胸を 次第に静かに 平らにしていた。
血も 涙も 出るまゝにしていたので乾いていたし、閉ぢていた目も 貝のように自然に開いていた。
「あのお星さまに お父うがいるンやろな 金平糖みたいなお星さまやな」
明星は金平糖のように チカチカ 光つて 二番星 三番星を呼ひ集め出していた。
天神山は黒い牛が怒つて立ちはたかつているように追って来、
村はずれの田ン圃みちを挟んで、
早稲の穂が ざわざわ首をわっていた。
「この田ン圃、あの田ン圃、お春の田ン圃やな、白いおマンマたべてみたいな」
武は 急にお昼にサツマ芋たべたきりだったのをおもい出したら
腹が ぐうとなり出したので、「何糞ツ」と起きようとしたが、背骨を下にした松葉杖で打ったとみえて 中々起きられそうもない。
仕方なしにそのまゝまた仰向けに細みちにねてしもうた。

山鳩もねたらしい。
どこかで ふくろふが「ノリつけ乾ぜ、すててけ ほう、ごろすけほう公 ムダ奉公」と
武をあざわらうようになき出した。
「わらうもンに わらわせとけ」
武は じっと 次に現われる金の星 銀の星をみつめ 現われてはどこかへ流れ去る星を眺めていた。
天の川は白々と 南の山から 北の海へと 橋を架けはじめた。
「あの橋をこえていくと お父うにあえるかなア」
武は 夢みるように 大空をみているうち
「そうだ、あの星 あの空が オラの友だちだ、お春も 五郎も 金次も 判らんやろ」
武の頬に笑窪ができ、風も 水音も みんな友達のようにおもえて 嬉しくなってきた。

三、稲光り
「武やア、武イ!」
おみつの おろおろ声が谷々にこだまし 遠くなつたり 近くなつたり‥‥‥
武は、「あちち」と顔をしかめて それでもむっくり起き 両足を投げ出したまゝ 「おツ母ア、ここやア」

「武イ」
「おツ母ア」
おみつの声がはずんで段々近づき
早稲田を廻り廻つて 武のいる細みちを渡つてきた。
「武!またいぢめられたンやな。可哀そうにな。なンぼ うちが貧乏やから ちうてこんなにいぢめンでもいいがに」
「おツ母、オラ馴れとるンや。あれ見られ、金平糖が沢山並ンどるなア、金平糖なンかたべたくないけンど、やがてオラ大人になったら おツ母に仰山あげる」
「おツ母何にもいらン。武さえ達者でいてくれりや そいでいい、さア おツ母オンブしてやろ」
「いいよ、歩くさかいに。そいからナ、オラおツ母に白いおマンマ仰山たべさせたげる、サツマ芋ばかりぢや おツ母可哀そうやもンな」
「この子は 何という」
おみつの声はうるんでいる
また ふくろふがなき出した。

「さアいくべエか」
「うん」
「気イつけや、ころぶなや」
「うん」
おみつは先に、武はその背をみつめ、あみつがさがしてくれた松葉杖を両脇に 飛ぶように細みちを歩きはじめた。
「おツ母はなア、あの天神山の向うの村からお嫁に来たンや。おツ母のお里は物持やつたな」
「なんでまた 貧乏せにやならんかつたかイ」
「おツ母はなア、お父うが好きやつたで、おヂヂ、おババが“あかん”いうたに家出してしもたンや。そいで勘当ちうもンにされたンや」
「ふうン」
「お父うと旅をして歩いてた時分 楽しかつたな。武がまだ生まれン先やった」
「お父うまたなんで死ンだンや?」
「お父うはナ、お父うはナ」
「お父うは?」
「さアいつていいやら 悪いやら」
「云うて おツ母!」
「お父うはナ 首くくつて死ンだンや」
「首くくって?どこでや」
「あの観音山の松林、ほら、お父うや お父うのおヂヂ おババの墓が並んどる傍の松の木で」
「何でや?」

村へ入る道を射るように稲光がまばたき 母子の背を撫でている。(以下次号)

掲載誌:『花園』65 11月号 昭和37年11月1日発行