, 随筆

巻末記

 綠の髯を生やして老人じみた奴、すべつこい童顏をした奴、角ばつて我武者羅な奴、蹴られりや蹴られたで、叩かれりや叩かれたでたまには火華を散らして反抗するし、また小鳥の眞似なんかして得意げに雲へ突進する。實に石つて奴は、ノロマで冷酷で怒りつぽいがまた他面素直で糞眞面目で素疾つこくてさびしがりやでおどけもので……兎に角却々複雜な性格を持つた可愛い存在である。この嬉しい奴は、私の病臥時代(一九二四―二五)私のいい慰め手になつて呉れたばかしか、何かと私の人生觀を變へて呉れたりした。で、この貧しい詩集に題するに「石」を以てする所以。
 丁度詩を書き始めてから足掛十三年になる。この長い歳月の間書いたものは六百篇を超える。そして何一つ自分で滿足すべきものを持つてゐないのである。恥かしく淋しいことだけれど仕方がない。私は眞實最近まで全くの一人ぼつちで歩いて來た。だからどれも未完成で我流で時代にも時勢にも外れてゐるかも知れない。でも私は私の内的生活を深め掘り下げるために、私の有つ美しさ醜さ、強さ弱さ、善惡、さう云つたあらゆる面貌を、聲を、動きを、矛盾も支離滅裂も拙劣もお構ひなく我武者羅に荒削に、兎に角正直に描かうとしてきた。せめてもの慰めはその點である。であるから黑旗篇にあるものの如きを所謂プロ詩の積りでみて貰つては困るのである。私は囚はれたくない。自分を束縛したくない。私は自分をプロ詩人ともブル詩人とも思はない。私は生きてゐる。刻刻に變る。或は右へ寄つてゐるかもしれず、左を歩かうとしてゐるかもしれない。作品はその刻刻の脱穀である。

 本集に納めたのは主として富山時代のものの拔抄である。他のものや郷里西布施時代或は東中野時代のものは捨てたりまた民謠集その他の機會の爲に保留した。一の試みである所の民謠詩「樹木」「黑潮をゆく」などは民謠集へ入れる筈。數十篇の石の詩は大分そここで書かれ出したやうだし古い境地なので嫌氣がさして捨てることにし、その代りに甘いのや軽い短いものを大分拾つた。

 何も本集で世に世に問ふなどといふ氣持を持つてゐない。ただ良き先輩や友人を一人でも得て今後の教示を求めたいのである。それは痛い鞭でもよい。好意からであれば有難くお受けして次への出發の拍車にしたい。大方の御叱正御高教を乞ふ次第である。
 終に二度までも過分の序を快く下すつた藤森秀夫氏、裝幀の勞をとられた野崎余詩子呂氏、色々世話して呉れた山岸曙光子君其他の諸君に感謝の意を表する。

一九三〇・四・一五・第二五回誕生記念日

掲載誌:『石』 中山輝詩集 昭和5年9月 99~102ページ