昭和二年如月の或日、折柄の大吹雪を衝いて中山「帆十」君が日本海詩人聯盟組織の下相談にやつてきた。
この日、君と相識つたのであるが、彼を精悍で飄逸で、それでゐてなかなか正直な男だと思つた。
今でも僕はさう思つて信頼してゐる。
「日本海詩人」の發刊されるまでの生みの苦しみは、殆ど君獨りで背負つてくれたといつてもいい位であつた。
僕は君のさうした眞劍な努力に刺戟されて、一時やめてゐた民謠の創作に甦り、遂に今日に至つた。
嘗つて大村正次君もさういふ風なことを言つてゐた。
一方君は北陸タイムスの文藝部を興し、幾多の新人を養成、指導し來つた。
この二つの事蹟は郷土詩壇への最も大いなる寄與であると思ふ。
君の詩風、詩作態度については、藤森氏の序に既に書き盡されてゐると思ふが、君は絶えず自己の魂の深所をこつこつ穿鑿してゐる詩人だ。
だから君の詩を讀むと胸にピンと響くのだ。
君の作品は過去數年、「日本海詩人」「民謠詩人」「新詩脈」等に發表してゐたが、今春「日本海詩人」を脱退して後、「詩と民謠」を自ら主宰し、力をこれにも盡してゐる。
君はまた、民謠の創作に新鋭の尖先を顯はして、つき進みつつある唯一の花形選手でもある。
ここにいま、君の過去に於ける収穫の一部を聚成し、題して「石」と呼ぶ。
これの誕生を心から祝福し、粗文を謝して筆を擱く。
昭和五年八月の盆
山岸曙光子
掲載誌:『石』 中山輝詩集 昭和5年9月 96~98ページ