「地蔵さんと言葉」

白い霧に洗われている村ざかいの峠の一本杉の下で
鴉の糞まみれになりながら
微笑をしたきりの鼻かけ地蔵さんは
いつも黙って爪もない指で天をさしている
仰いでみても灰色ばかり
いったい天の奥に何があるというのだろう

  “地蔵さんよ何かいって下さいよ
  そんなに黙っていてはわからない”
さびしくなるとひとり来て話しかけるけれど
やはり微笑をたたえたきり

  “言葉などというつまらん仲立ちがあるから
  その言葉という魔性がかえって越えられない絶望になるのでしようか”

鼻かけ地蔵さんは
言葉なんかの枯葉の装いを捨てられ忘去れられて
  “言葉なんて 邪悪をつくるだけだョ”といっておられるようだ

霧から生まれたように
腰の曲がった白髪爺さんが
木炭一俵背負って
どこからともなく ひょっこり現われて来て
鼻かけ地蔵さんに 煮しめたようなねじり鉢巻をとって お辞儀して
霧を吹きあげてくる暗い谷底へ吸われていった

もう糞をたれかけてくれる鴉もいない
物音とて 山鳴りと 川鳴りと 遠い海鳴りばかり
  しんしんと 寒さが群がり囲んで
  “言葉なんて 何になるというのか
  そんなものがあるから
  そんなものにこだわるから
  お前は駄目なんだ”
そういっているようだ

  “地蔵さんよ、何とかいって下さいよ
  あなたのひとことで救われます”
でも鼻かけ地蔵さんは指で天を示すばかり
一本杉は“まだ判らんか”とうなりはじめるだけ

  “言葉などという美しい偽わりの装いを
  信ずる愚かさからお救い下さい”
でも石の地蔵さんは
慕い寄るほの暗さににっこりしているだけ

(43年12月1日夜12時15分)

掲載誌:『壺』 昭和48年4月 5~6ページ