, 随筆

巻頭の辞「言葉に再び神性を」

 ☆「太初に言葉ありき」は新約聖書(ヨハネ伝)の第一語だ。聖句は「言葉は神と共にありき。言葉は神なりき。すべてはこれによりて成れり。この言葉に命ありき。この命は人の光なりき」と次いでいる。言葉の混乱甚だしい今日、深く学ぶべきだ。言葉如何で世界が変る。「言葉と意志」の問題が世界平和以前に横たわっている言葉の統一、整理、吟味が大事だのに、言葉への軽視が酷すぎる。
 ☆父祖は言葉に神性を感じ「言霊」を信じ、記紀歌謡の童謡は預言でもあった。古代人は単純素朴だったから―と嗤うのは思いあがりだ。「偽悪」時代だといっても「虚構」と「偽り」は異り「言葉の魔術」から「言葉の詐術」さらに「偽言」流行への移行は錯誤だ末世だ。倒錯文化の弊で済まされない。
 ☆活字文化は「詩は言葉の音楽」を古典にした。それはいいが、詩が言葉の芸術であることに変りはなく、言葉を除いて人間はない鳥には鳥の言葉が、獣には獣の言葉がある。が、人間の言葉は神性から魔性へ堕ちて文化開顕と錯覚している。世の不信、不和、混迷、さらに低俗、散文化が甚だしければ甚だしい程、思考(内容)と不離の言葉(形式)の本質、意義、生命を再認識し、尊重し、大事にいたわり、活かすのは詩徒でなければならない。今日、詩を愛するものは少くも「太初に言葉ありき」を心し、言葉に再び神性を蘇らせ「言霊」の再現に努めるべきだ。(T・N)

掲載誌:『詩と民謡』 昭和35年5月 1ページ